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Person / 人

何晏

He Yan
AD195年 – AD249年(享年54・推定)
重要度 3

概要

何進の孫。母が曹操の妾になり、曹操の家で育ち、曹操の娘を妻に。「粉侯」。顔が白く、白粉を塗っていると疑われた。『論語集解』『道徳論』。清談。五石散。曹爽の側で、高平陵で司馬懿に殺された。三族。

所属

関わったできごと(2)

正始の音(玄学の始まり)AD240年 · 論語集解竹林の七賢AD260年頃 · その前に正始の音

本文

南陽宛。何進の孫。何進は霊帝の皇后の兄で、189年に宦官を討とうとして殺された大将軍。何晏の父は早く死に、母の尹氏が曹操の妾になった。何晏は曹操の家で育ち、曹操の娘(金郷公主)を妻にした。曹操は彼を息子のように扱い、曹丕は「仮子」と呼んで嫌った。

顔が白かった。曹丕は白粉を塗っていると疑って、夏に熱い麺を食べさせた。汗を拭いたら、もっと白かった。「粉侯」。『世説新語』。

『論語集解』。漢の注を集めて、自分の考えを加えた。『道徳論』。「無を本とする」。「有が有であるのは無によって生まれる」。清談の中心。五石散(鉱物の薬。飲むと熱くなって歩き回らないと危ない)を飲んだ。「五石散は病気を治すだけでなく、心が開く」。魏晋の貴族がまねた。

曹爽が政権を取ると吏部尚書。人事。曹爽の側で、鄧颺と丁謐と「三狗」と呼ばれた。

249年、高平陵の変。司馬懿が曹爽を倒し、曹爽の側の人間を裁いた。何晏は裁く側に回ろうとして、曹爽一党の名を書き出した。司馬懿が「まだいる」と言い、何晏が「私ですか」と言った。「そうだ」。三族。

玄学の始めの人で、王弼が20歳の天才なら、何晏は50歳の政治家だった。