できごと

ハドソン川の奇跡

US Airways Flight 1549
AD2009年1月15日
重要度 2
カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国グリーンランドメキシコホンジュラスキューバグアテマラAD2009年1月15日ハドソン川(マンハッタン沖)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD2009年1月15日の版図を描いています(8勢力)。

概要

離陸直後に鳥の群れと衝突して両エンジンが止まった旅客機が、ハドソン川に着水し、乗っていた155人全員が助かった。

場所

ハドソン川(マンハッタン沖)
40.77°N -74.00°E · アメリカ・ニューヨーク州ニューヨーク市

本文

2009年1月15日の午後、ニューヨークのラガーディア空港から、USエアウェイズ1549便が飛び立った。ノースカロライナ州シャーロットを経てシアトルへ向かう定期便で、機体は1999年にフランスのトゥールーズで造られたエアバスA320だった。乗っていたのは乗客150人、客室乗務員3人、操縦士2人の155人である。

機長は57歳のチェズリー・サレンバーガーで、空軍の戦闘機の操縦士を経て1980年から旅客機に乗り、飛行時間は2万時間近かった。グライダーの操縦の経験もあり、航空の安全を専門に研究してもいた。副操縦士のジェフリー・スカイルズは49歳で、飛行経験は長かったが、A320の操縦桿を握るのはこの日が初めてだった。

1549便は午後3時25分ごろ、副操縦士の操縦で北東へ向けて離陸した。上昇を始めて2分足らずの3時27分11秒、高度およそ860メートルで、機体はカナダガンの群れに突っ込んだ。大きな鳥が窓いっぱいに見え、乗客と乗員は激しい衝撃音を聞き、エンジンから炎が出るのを見た。そのあと音が消え、燃料のにおいがした。二つのエンジンが両方とも止まっていた。

機長はすぐに操縦を代わり、副操縦士はエンジンを再び動かすための手順書に取りかかった。機体は惰性でしばらく上昇したあと、滑空しながら降り始めた。機長は管制に、鳥と衝突して両エンジンの推力を失ったと告げた。管制官はラガーディア空港に戻るよう滑走路を空けたが、機長は「無理だ」と答えた。ニュージャージー州のテターボロ空港も勧められたが、それにも届かないと判断した機長は、「ハドソン川に降りる」と伝えた。機体はジョージ・ワシントン橋の上を、270メートルに満たない高さで越えた。機長は客室に「衝撃に備えよ」と告げ、客室乗務員が乗客に姿勢をとらせた。

午後3時30分ごろ、機体は推力のないまま、マンハッタン中部の西50丁目のあたりで、川の中ほどに着水した。鳥と衝突してから4分足らずのことだった。客室乗務員はこの着水を、跳ねることのない一回の衝撃のあと、ゆっくり止まっていく硬い着陸のようだったと述べている。

機長が脱出を命じ、乗客は主翼の上の非常口と、前方の扉から開いた脱出用のいかだへ出た。後方の扉が開けられて水が入り、機内の水位は上がっていった。気温は氷点下7度、水温は5度ほどだった。翼の上で膝まで水につかって待つ人もいた。機長は最後に二度、客室を歩いて誰も残っていないことを確かめた。

近くを走っていた通勤用のフェリーが数分で駆けつけ、沿岸警備隊や警察、消防の船も次々に集まった。最後の一人が機体から助け出されたのは午後3時55分である。乗っていた155人は全員が助かった。けが人は100人ほどで、そのうち5人が重傷だった。低体温症の手当てを受けた人も多かった。

ニューヨーク州知事のデヴィッド・パターソンはこの出来事を「ハドソン川の奇跡」と呼び、この名が広まった。国家運輸安全委員会の調査では、鳥と衝突した直後にすぐ引き返していれば、ラガーディア空港に戻れた可能性があるという模擬飛行の結果も出た。しかし委員会は、状況をつかみ判断するまでの時間がその試算に含まれていないことを指摘し、この状況では川への着水が最も生き残る見込みの高い選択だったと結論した。委員会の担当者は、航空の歴史で最も成功した着水だと評した。操縦士と客室乗務員はそろって表彰を受けた。

調査は、鳥との衝突への備えや、着水したときの脱出の手順にも改善を促した。機体はのちにシャーロットの航空博物館に運ばれて展示された。2016年には、この事故と調査を描いたクリント・イーストウッド監督の映画『ハドソン川の奇跡』が公開されている。

動画(1)

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