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Event / できごと

太宰治『津軽』

Tsugaru
AD1944年11月
重要度 3
大英帝国ソビエト連邦中国の軍閥イギリス領インド帝国モンゴルチベット日本シャムフランス領インドシナラオスフィリピンカンボジアコーチシナAD1944年11月東京
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1944年11月の版図を描いています(13勢力)。

概要

1944年の春、太宰治は出版社の依頼で故郷の津軽半島を3週間かけて旅し、その紀行を書いた。昔の友人や親類を訪ね、最後に、幼い自分を育ててくれた子守のたけと、小泊の運動会で30年ぶりに再会する。戦争のさなかに書かれた、太宰の作品の中でもとりわけ穏やかな一冊になる。

場所

東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都

関わった人(1)

太宰治AD1909年6月19日–AD1948年6月13日 · 作者

本文

1944年、小山書店は、日本の各地を作家に書かせる「新風土記叢書」を企画し、津軽の巻を太宰治に頼んだ。太宰は5月から6月にかけて、およそ3週間、青森県の津軽半島をめぐった。太平洋戦争の敗色が濃くなり、物資も乏しいなかでの旅だった。

旅は、蟹田に住む中学時代の友人を訪ねるところから始まる。太宰は友人たちと酒を飲み、外ヶ浜の海沿いを北へ歩き、竜飛岬まで行く。その後、生まれ育った金木の生家に立ち寄り、兄の家族と気まずく、しかし懐かしく過ごす。故郷の風土と人を、自分をいくらか笑いながら、温かく描いていく。

旅の終わりに太宰は、半島の西の小泊に向かう。そこには、幼いころの太宰の子守をしていた越野たけが嫁いで暮らしていた。たけは村の運動会に出ていて、太宰は会場で30年ぶりに彼女と再会する。二人は並んで座り、しばらく言葉もなく運動会を眺める。この場面が、作品の結びになる。

『津軽』は同じ年の11月に刊行された。自らを責め続ける作品の多い太宰が、故郷と育ての親を素直に受け入れた作品として、いまも読まれている。

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