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Event / できごと

スタンリー、リヴィングストンに会う

Stanley finds Livingstone
AD1871年11月10日
重要度 4

概要

新聞社の金で、消息の絶えた宣教師を探して8か月。タンガニーカ湖の岸の村で。「リヴィングストン博士ですね」。言ったかどうか、彼の日記のその日の頁は破られている。リヴィングストンは帰らず、2年後に死んだ。スタンリーはコンゴを下り、レオポルドに売った。

場所

ウジジ
-4.91°N 29.68°E · タンザニア

関わった人(2)

ヘンリー・モートン・スタンリーAD1841年1月28日–AD1904年5月10日 · 探したデイヴィッド・リヴィングストンAD1813年3月19日–AD1873年5月1日 · 見つかった

本文

1866年、リヴィングストン。三度目。「ナイルの源」。 消息。1869年、手紙。それから、なし。 「死んだ」。 1869年10月、パリ。ジェームズ・ゴードン・ベネット・ジュニア。ニューヨーク・ヘラルド。 「リヴィングストンを探せ」。「金は、いくらでも」。 スタンリー。28歳。 「スエズ。エルサレム。ペルシア。インド」。 1871年1月、ザンジバル。 「200人。ロバ。布。ビーズ」。 3月21日。バガモヨ。 「ウゴゴ。ウニャニェンベ。タボラ」。 「マラリア」。 「ミランボの戦争」。 「奴隷商人と一緒に」。 11月10日。ウジジ。 「星条旗」。 「白人」。 「灰色の髭。赤い袖の上着。青い帽子」。 「私は、彼に、歩み寄った。帽子を取って。『リヴィングストン博士ですね』。『そうです』」。 「私は、駆け寄って、抱きしめたかった。イギリス人の前で、私が臆病者に見えることを恐れた」。 「4か月、一緒に」。 「タンガニーカ湖の北。ルシジ川は、湖に流れ込んでいた。ナイルではなかった」。 1872年3月14日。 「帰りましょう」。 「いや」。 「手紙と日記を、持って帰った」。 5月、ザンジバル。 8月、ロンドン。 「嘘つき」。地理学会。「アメリカの新聞記者」。 「リヴィングストンの手紙が、本物だと」。 「ヴィクトリアが金の嗅ぎタバコ入れを」。 『いかにして私はリヴィングストンを見つけたか』。 1873年5月1日。リヴィングストン。チタンボ。 「跪いて、ベッドの脇で」。 「スシとチュマが、心臓を木の下に埋めて、遺体を乾かして、9か月、海岸まで運んだ」。 「ウェストミンスター」。1874年4月。スタンリーが棺を担いだ。 1874年、「ナイルの源を、私が」。 「ヴィクトリア湖を回った」。 「タンガニーカ湖を回った」。 「コンゴを、下った。999日」。 1877年、ボマ。 「レオポルド」。 「コンゴ自由国」。 「1000万人」。 「岩を砕く男」。「ブラ・マタリ」。 「リヴィングストン博士ですね」。 「彼の日記の、その日の頁は、破られている」。 「ヘラルドの記事に、書いた」。 「言った」。「言わなかった」。 「言った、ことになった」。

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