概要
同じ船団で渡り、別のものを持ち帰った。最澄は天台、空海は密教。以後の日本の仏教は、ほとんどこの二人の系統から分かれる。
場所
長安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
関わった人(2)
最澄AD767年–AD822年 · 渡唐空海AD774年–AD835年 · 渡唐本文
804年の遣唐使は、四隻で出た。
二隻が流された。
最澄は第二船に乗っていた。
すでに天台の学僧として名があり、 短期の留学(還学生)として渡る。
空海は第一船。
無名の私度僧に近く、 20年の留学生として渡った。
二人は同じ船団だが、別の船だった。
最澄は天台山へ行き、半年で天台の教えを受けて帰った。
空海は長安へ行き、 青龍寺の恵果に会って、密教の全体を三か月で授けられた。
恵果はその年に死ぬ。
空海は2年で帰った。20年の約束を破って。
帰国後、最澄は空海に経典を借りた。
弟子を空海のもとへ送り、その弟子が帰らなかった。
『理趣釈経』の貸し出しを断られ、二人は絶交する。
密教は文字で learn できるものではない、と空海は書いた。
以後の日本の仏教は、 ほとんどこの二人の系統から分かれていく。