概要
8度目。犬橇でエルズミア島から。「星条旗を立てた」。ヘンソンと4人のイヌイットと。帰ると、クックが「私が1年前に」と言っていた。議会が認めた。彼の速度と記録には、いまも疑いがある。本当に着いたかは分からない。着いたと認められた、最初。
場所
89.90°N 0.00°E · 北極海
関わった人(2)
ロバート・ピアリーAD1856年5月6日–AD1920年2月20日 · 主張したマシュー・ヘンソンAD1866年8月8日–AD1955年3月9日 · 共に本文
ピアリー。 1886年、グリーンランド。 1891年、1893年、1898年。 「北極点は、グリーンランドの北から」。 1898年から1902年。4年。指を8本。 1905年、ルーズヴェルト号。北緯87度6分。「最北」。 1908年7月6日。 「ルーズヴェルト号」。ケープ・シェリダン。 1909年2月22日。ケープ・コロンビア。 「24人。19台の橇。133頭の犬」。 「支援隊」。 「バートレット。北緯87度47分まで。帰された」。 「4月1日」。 ピアリー、ヘンソン、オータ、エギンワ、シーグロー、ウキア。 「5日。133マイル」。 「1日26マイル。それまでの倍」。 4月6日。 「10時。『点』」。 「観測」。 「ヘンソンが先に着いていた。『私が最初だ』。ピアリーは、その日から、彼と口をきかなかった」。 「30時間」。 4月7日。 「帰り。16日。ケープ・コロンビア」。 9月5日、ラブラドールから電報。「星条旗を北極点に」。 9月1日、クック。「私は1908年4月21日に」。 「クックは、マッキンリー登頂も嘘だった」。 「クックの証拠は、イヌイットが『陸が見えていた』」。 1909年11月、ナショナル・ジオグラフィックの委員会。「ピアリー」。 1911年、議会。「海軍少将」。「証明はない。だが」。 「速度」。「支援隊がいなくなってから、倍速」。 「観測。緯度だけ。経度なし」。 「日記の、4月6日の頁は、別の紙」。 1988年、ナショナル・ジオグラフィック。「ウォーリー・ハーバート」。「届かなかった。60マイル手前」。 1989年、海軍財団。「届いた」。 「分からない」。 「最初に、確かに、北極点に立ったのは、1926年、アムンセンの飛行船か、1948年のソ連の飛行機か、1968年のプレステッドの雪上車か、1969年のハーバートの徒歩」。 「ピアリー」。 「ヘンソン」。 「4人のイヌイット」。 「オータ」。 「ミニク」。1897年、ピアリーがニューヨークに連れてきた6人。4人が死んだ。父の骨が博物館に。 「ピアリーの子供」。「カーリー・ピアリー」。1906年。グリーンランド。 「ヘンソンの子供」。「アナウカク」。 「二人の孫が、1987年に会った」。 「北極点」。 「星条旗」。 「たぶん」。