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Event / できごと

メディチ銀行

The Medici Bank
AD1397年
重要度 5
シベリアの諸集団グアンチェサーミブルガール可汗国ノヴゴロド公国教皇領シチリア王国グラナダ王国カスティーリャ王国ハフス朝Trebizondセルジューク朝ジョージアスコットランドEnglish territoryリャザン公国RaškaコルシカキプロスノルウェーポルトガルサルデーニャTeutonic Knightsナバラ王国カネム=ボルヌモロッコマクリアハドラマウトブルターニュモスクワ大公国デンマークスウェーデンアラゴン王国リトアニア大公国マムルーク朝キプチャク汗国ヴェネツィア共和国ティムール朝ハンガリー王国ポーランド王国フランス王国オスマン帝国マリ帝国神聖ローマ帝国東ローマ帝国AD1397年フィレンツェ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1397年の版図を描いています(45勢力)

概要

ジョヴァンニ・ディ・ビッチが、フィレンツェに銀行を開いた。革新は組織にある。各地の支店を、本店が出資する別々の合名会社にした。一つの支店が潰れても、他へ及ばない。支店長は共同経営者で、利益を分ける。ローマ、ヴェネツィア、ジュネーヴ、ブリュージュ、ロンドン。最大の顧客は教皇庁で、全ヨーロッパの教会収入がこの銀行を通った。孫のロレンツォの代に、貸し倒れと放漫な経営で傾き、1494年、フランス軍の侵入とともに終わった。

場所

フィレンツェ
43.77°N 11.26°E · イタリア・トスカーナ州

関わった人(2)

ジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチAD1360年–AD1429年2月20日 · 開いたロレンツォ・デ・メディチAD1449年1月1日–AD1492年4月8日 · 傾けた

本文

**フィレンツェ**。

13世紀から、フィレンツェは金融の都市だった。

**フィオリーノ**(フローリン)——1252年に鋳造が始まった金貨。純度が高く安定していたので、**ヨーロッパの国際通貨**になった。

大銀行が興った。**バルディ家**、**ペルッツィ家**。

そして、**潰れた**。

1340年代、イングランド王**エドワード3世**が、百年戦争の戦費として借りた巨額を、**返さないと宣言した**。

バルディとペルッツィが破産した(1343〜46年)。フィレンツェの経済が崩れた。

(教訓——**君主に貸すのは危険である**。しかし、君主以外に、それほどの額を借りる者はいない。)

**ジョヴァンニ・ディ・ビッチ**。

1360年頃生まれ。メディチ家の傍系の、裕福とはいえない家。

(メディチ家は、13世紀からフィレンツェにいたが、有力な家ではなかった。名の由来は「医師」だが、実際に医業を営んだ記録はない。紋章の球〈パッレ〉が、丸薬とも、両替商の硬貨とも言われる。)

彼は、遠縁のヴィエーリ・ディ・カンビオ・デ・メディチの銀行で修業し、その**ローマ支店長**になった。

(ローマが重要である。**教皇庁**の資金を扱えるからである。)

1393年、ヴィエーリが引退。ジョヴァンニがローマの支店を引き継いだ。

**1397年**、彼は本店を**フィレンツェへ移した**。

これが、**メディチ銀行**の始まりとされる。

**構造**。

彼の(そして子コジモの)革新は、金融の技術ではなく、**組織**にある。

**(1)支店を、別々の会社にする**。

ローマ、ヴェネツィア、ジュネーヴ(後にリヨン)、ブリュージュ、ロンドン、ピサ、ミラノ、アヴィニョン。

各支店は、**独立した合名会社(コンパニーア)**である。

本店(フィレンツェの持株会社にあたる)が過半を出資し、支店長が残りを出資する。

**帰結**——**一つの支店が破綻しても、法的には他へ及ばない**。

(ロンドン支店とブリュージュ支店が、イングランド王とブルゴーニュ公への貸付で大損したとき、この構造が本体を守った。ただし、完全ではなかった。実際には、本店が支援せざるを得ない場面が多かった。)

**(2)支店長を、共同経営者にする**。

支店長は、雇われた店員ではない。**利益を分ける**。

だから、真剣に働く。

(同時に、契約は詳細だった。何をしてはいけないか——特定の相手に貸さない、投機をしない、本店の許可なく額を超えない——が、細かく書かれている。)

**(3)帳簿**。

複式簿記を使い、支店ごとに毎年、**決算書を本店へ送らせた**。

(メディチ銀行の帳簿の一部が、フィレンツェの文書館に残っている。歴史家レイモンド・ド・ローヴァーが、これを分析して『メディチ銀行の興亡』〈1963年〉を書いた。この本が、現在の理解の基礎である。)

**(4)多角化**。

銀行業だけではない。**毛織物**と**絹織物**の工房を持ち、明礬(染色に不可欠。当時、ほぼオスマン領からしか採れなかった)の**独占的な取引**を握った。

(1462年、教皇領のトルファで明礬鉱山が発見された。メディチ銀行が、その採掘と販売の権利を得た。教皇が、他の明礬の輸入を禁じた。事実上の独占である。)

**教皇庁**。

これが、最大の顧客だった。

全ヨーロッパの教会が、教皇庁に納める金(十分の一税、聖職禄の初年度収入、免罪符の売上)を、**メディチ銀行が送金した**。

ポーランドの司教区から、ローマまで。現金を運ばず、手形で。

その資金が、銀行の手元に留まる期間、それを運用できる。

(1420〜30年代、ローマ支店の利益が、銀行全体の利益の半分以上を占めた年がある。)

**コジモ**。

1429年、ジョヴァンニが死んだ。子**コジモ**(1389〜1464)が継いだ。

彼の下で、銀行は最大になった。

そして、彼は**政治**を握った。

(1433年、対立する党派によって追放された。翌1434年、帰還した。以後、彼は公職にほとんど就かないまま、フィレンツェの実質的な支配者であり続けた。金と、縁故と、恩顧によって。)

**芸術**。

コジモとその子孫が、金を使ったもの。

- **ブルネレスキ**——サン・ロレンツォ聖堂、そしてフィレンツェ大聖堂のドーム(メディチ家は主要な出資者の一つ)。 - **ドナテッロ**——青銅のダヴィデ(メディチ邸の中庭のために)。 - **フラ・アンジェリコ**——サン・マルコ修道院(コジモが再建の費用を出した)。 - **ミケロッツォ**——メディチ邸。 - **ボッティチェリ**——『春』『ヴィーナスの誕生』(メディチ家の一族の依頼とされる)。 - **プラトン・アカデミー**——マルシリオ・フィチーノに、プラトン全集のラテン語訳をさせた。 - **サン・マルコ図書館**——ヨーロッパで最初期の公開図書館。

(コジモは、晩年、莫大な額を教会と芸術に投じた。動機として、**高利貸しの罪の贖い**が挙げられることがある。教皇エウゲニウス4世が、彼に「サン・マルコ修道院を再建すれば、罪が赦される」と示唆した、という記録がある。)

**ロレンツォ**。

1449〜92年。「**イル・マニフィコ**」(豪華王)。

詩人であり、芸術の保護者であり、そして外交の名手だった。

(1478年の**パッツィ家の陰謀**。ミサの最中に襲われ、弟ジュリアーノが殺された。彼自身は負傷して逃れた。背後に教皇シクストゥス4世がいた。彼はその後、単身でナポリ王のもとへ乗り込み、和平を結んだ。)

**しかし、銀行家としては、無能だった**。

- 彼は、支店の経営を、能力より縁故で選んだ人物に任せた。 - ロンドン支店とブリュージュ支店が、**君主への貸付**で破綻した。(エドワード4世とシャルル突進公。バルディ家と同じ失敗である。) - リヨン支店の支店長リオネット・デ・ロッシが、無許可の貸付で大損した。 - ロレンツォ自身が、銀行の資金を**私的な支出**(芸術、祝祭、そして政治)に流用した。 - 1478年、彼は**公金**(少女の持参金の基金)に手をつけた。

**終わり**。

1492年、ロレンツォ死去。子**ピエロ**(「不運なピエロ」)が継いだ。

**1494年**、フランス王シャルル8世が、イタリアへ侵攻した。

ピエロは、抵抗せずに要求を全部呑んだ。市民が激怒した。

メディチ家は、フィレンツェを**追放された**。

**銀行の資産は、没収された**。帳簿は散逸し、いくつかが後に発見された。

(同じ年、**サヴォナローラ**の神権政治が始まる。1497年、「虚栄の焼却」。メディチ家が集めた美術品と書物の一部が、広場で焼かれた。)

**その後のメディチ家**。

- 1512年、帰還。1527年、また追放。1530年、また帰還。 - 1531年、**フィレンツェ公**。1569年、**トスカーナ大公**。 - **二人の教皇**——レオ10世(ロレンツォの子。ルターの宗教改革のときの教皇)、クレメンス7世(ヘンリー8世の離婚を認めなかった)。 - **二人のフランス王妃**——カトリーヌ・ド・メディシス(サン・バルテルミの虐殺のときの摂政)、マリー・ド・メディシス。 - 1737年、男系が絶えた。

最後の一人、**アンナ・マリア・ルイーザ**(1667〜1743)が、遺言を残した。

メディチ家の全ての美術品を、トスカーナ大公国に譲る。ただし——**フィレンツェから、一点も持ち出してはならない**。

(この遺言のおかげで、ウフィツィ美術館とピッティ宮殿のコレクションが、いまもフィレンツェにある。)

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