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Event / できごと

ラグーサの検疫

Quarantine at Ragusa
AD1377年7月27日
重要度 4

概要

黒死病の30年後、アドリア海の商業都市が、疫病の地から来た船と人を島に30日留めると決めた。世界で最初の検疫の法。ヴェネツィアが40日にして「クアランタ」から「クアランティン」。病の原因を知らずに、隔てることで防ぐことを覚えた。

場所

ドゥブロヴニク(ラグーサ)
42.65°N 18.09°E · クロアチア

本文

ラグーサ。ドゥブロヴニク。アドリア海の東岸。ヴェネツィアの競争相手。 1348年、黒死病。ラグーサでも死んだ。 1377年7月27日。大評議会。 「疫病の地から来る者は、ラグーサにもその領域にも入るな。ムルカンかツァヴタトで1か月留まれ」。 ムルカン、島。ツァヴタト、南の港。 「ラグーサの者が、留められている者の所へ行けば、同じく1か月留められる」。 「食糧を運ぶ者は、評議会の許可を得て、その者と接触せずに」。 「違反者は罰金」。 30日。トレンティーナ。 世界で最初の、法として書かれた検疫。 ヴェネツィアは1423年にラザレット。島に病院。40日。クアランタ・ジョルニ。クアランテーナ。クアランティン。 なぜ40日。ヒポクラテスの急性の病の期間、キリストの荒野の40日、大洪水の40日。分からない。 ラグーサは1397年に検疫の役人を置き、1590年に大きなラザレットを街の外に建てた。プロチェ門の外。いまも残っている。

病の原因は分からなかった。「瘴気」、悪い空気。ネズミもノミも知らなかった。 それでも、人と物を隔てれば止まることを、経験から覚えた。 原因を知らずに効く対策を作った、最初の例。 ラグーサの商人は東方と貿易していた。オスマンの土地から来る船を止めなかったら、商売ができない。止めなければ死ぬ。30日は、その間。 1526年、ラグーサでペスト。2万人の街で数千人が死んだ。検疫は完全ではなかった。 1667年、地震で街が壊れた。1808年、ナポレオンが共和国を終わらせた。 「ドゥブロヴニク」。クロアチア語。 2020年、クロアチアの新聞は「643年前に我々が始めた」と書いた。 検疫は英語でquarantine。40の意味を、もう誰も考えない。

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