← 地図で見る
Event / できごと

『直指』の印刷

Printing of the Jikji
AD1377年
重要度 5

概要

清州の興徳寺で、白雲和尚の編んだ禅の語録を、金属活字で刷った。現存する世界最古の金属活字本。グーテンベルクの78年前。下巻1冊がフランス国立図書館にある(1887年に駐朝公使コランが持ち帰り、1950年に寄贈された)。朝鮮では1234年に金属活字で刷った記録があり(現物は残らない)、1403年からは国家が鋳字所を置いた。

場所

開城
37.97°N 126.55°E · 朝鮮民主主義人民共和国(高麗の都)

本文

正式の題は『白雲和尚抄録仏祖直指心体要節』。白雲景閑(1298〜1374年)という高麗の禅僧が、歴代の祖師の語録から、悟りの要点を抜き書きした本。上下2巻。

「直指心体」。「直指人心、見性成仏」(人の心をまっすぐ指し示して、本性を見て仏になる)から。

1377年7月、清州(忠清北道)の郊外の興徳寺で、白雲の弟子の釈璨と達湛が、尼僧の妙徳の援助を受けて、鋳造した金属活字で刷った。

現存するのは下巻1冊のみ、38葉。フランス国立図書館。

伝来。1886年の朝鮮フランス修好通商条約の後、初代の駐朝フランス公使コラン・ド・プランシー(1888〜91年、1896〜1906年在任)が、朝鮮で書籍と美術品を集めた。その一つ。1911年、彼のコレクションの競売で、宝石商アンリ・ヴェヴェールが180フランで落札した。1950年、ヴェヴェールの遺言で、フランス国立図書館へ寄贈された。

1972年、パリの「国際図書年」の展示で、同館の司書だった朴炳善(韓国出身)が、これを世界最古の金属活字本として紹介した。表紙裏の最後の頁に、「宣光七年丁巳七月 日 清州牧外興徳寺鋳字印施」(宣光7年=1377年、清州の興徳寺で、字を鋳て印刷し、施した)とある。それが証拠になった。

グーテンベルクの『42行聖書』は1455年頃。78年前。

朝鮮半島の金属活字。もっと古い記録がある。李奎報『東国李相国集』に、1234〜41年頃、『詳定古今礼文』28部を「鋳字」で刷った、とある。現物は残っていない。1239年の『南明泉和尚頌証道歌』は、金属活字本を木版で覆刻したもの、という説がある。

なぜ金属活字が朝鮮で発達したか。(1)書物の需要が、種類は多く、部数は少なかった(官庁と両班の需要)。木版は、1種類を大量に刷るのに向く。(2)国家が印刷を管理した。1403年、太宗が鋳字所を設け、銅活字「癸未字」10万字を作った。以後、王朝を通して、20回以上、新しい活字を鋳た(甲寅字、庚子字…)。(3)金属(銅)の鋳造技術(仏像と鐘)があった。

活字の作り方。黄楊の木に字を彫る(父型)。それを海辺の細かい砂を固めた鋳型に押しつけて、型を取る。溶けた銅を流す。冷えたら、切り離して、削って高さを揃える。

グーテンベルクの方法との違い。彼は、鋼の父型を柔らかい銅に打ち込んで母型を作り、その母型を鋳型にはめて、鉛合金を流し込んだ(手鋳込み器)。同じ活字を、何百個でも、まったく同じ高さと形で、速く作れる。そして、油性インクと、圧搾機を応用した印刷機。

朝鮮の活字は、砂型なので一つ一つ微妙に違い、水性の墨で、紙を上から擦って刷った(拓本のように)。1日に刷れる枚数が、桁で違った。

技術が伝わったか。証拠はない。可能性を論じる研究はある(モンゴル帝国の交易路、あるいはローマへ行った使節)。

2001年、『直指』はユネスコの「世界の記憶」に登録された。同じ年、ユネスコに「直指賞」が設けられた。韓国政府は、フランスに返還を求めている。フランスは、正式な手続きで寄贈されたものだとして、応じていない。

同じ時代のできごと

マショー『ノートルダム・ミサ』AD1360年頃ティムール帝国の拡大1370年『歴史序説』AD1377年ラグーサの検疫AD1377年7月27日五山の制AD1386年威化島回軍AD1388年5月朝鮮王朝の成立AD1392年北山文化と金閣AD1397年