概要
シシリー・ソンダースは看護師、医療ソーシャルワーカーを経て、四十歳近くで医師になった。死にゆく人の痛みを見て、それが身体だけのものではないと考えた。体の痛み、気持ちの痛み、社会から切り離される痛み、そして意味を失う痛み。彼女はこれを「全人的な痛み」と呼んだ。痛みが来てから薬を出すのではなく、来る前に定時で与える。眠らせるためではなく、起きていられるために。ロンドン郊外に開いたセント・クリストファー・ホスピスから、この考え方が世界へ広がった。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
**三つの資格**。
(——**シシリー・ソンダース**(1918〜2005年)。
〈**(1)**看護師**。
**〈——オックスフォードで、**社会科学**を学んでいた。**
**——戦争が始まり、**中退して、看護に、入った**。**
**——だが、**背中を痛めて**、続けられなくなった。〉**
**(2)**そして、**医療ソーシャルワーカー**。
**〈——「レディ・アーモナー」と呼ばれた職。**
**——病院で、**患者の生活の側を、扱う**。〉**
**(3)さらに、**医師**。
**〈——三十三歳で、**医学校に、入り直した**。**
**——三十八歳で、**資格を得た**。〉〉**
**——**なぜ、そこまでしたのか**。
〈**——**ある人に、**言われたから**である**。〉)
**デイヴィッド・タスマ**。
(**1948年**。
〈**——**ポーランド出身の、**ユダヤ人**。
**——**ワルシャワのゲットーから、**逃れてきた**。
**——**四十歳。
**——**そして、**癌で、死にかけていた**。〉
**——**ソンダースは、**ソーシャルワーカーとして、**彼を、担当した**。
〈**——**話し込んだ**。
**——**「死んでいく人のための、**場所が、要る**」。
**——**そういう話を、**繰り返した**。〉
**——**彼は、**五百ポンドを、遺した**。
〈**——**「あなたの家の、**窓になりたい**」**と言った、と、伝えられる**。
**——**セント・クリストファーの玄関には、**その言葉にちなむ窓**がある**。〉
**——**そして、**もう一つ、言われた**。
〈**——**医師でなければ、**言うことを、聞いてもらえない**。
**——**だから、**医学校へ、行った**。〉)
**全人的な痛み**。
(——**「トータル・ペイン」**(total pain)。
〈**——**ある患者の言葉から、**取ったものである**。
**——**「痛みのことを、話してください」**と聞いたら、**
**——**「先生、**痛みは、**私の、全部です**」**と、答えた**。〉
**——**四つに、**分けて、考えた**。
〈**(1)**身体の痛み**(physical)。
**(2)**そして、**心の痛み**(psychological)。
**〈——不安。**
**——怒り。**
**——そして、**うつ**。〉**
**(3)さらに、**社会的な痛み**(social)。
**〈——仕事を、失う。**
**——家族に、負担をかける。**
**——見舞いが、来なくなる。〉**
**(4)そして、**魂の痛み**(spiritual)。
**〈——「なぜ、私なのか」。**
**——意味が、失われること。〉〉**
**——**そして、**言ったこと**。
〈**——**身体の痛みを、**まず、確実に、抑える**。
**——**そうでなければ、**残りの三つを、扱う余地が、生まれない**。
**〈——痛みに支配されている人は、**話すこともできない**。〉〉)**
**定時投与**。
(——**当時の、**やり方**。
〈**——**痛みが、**耐えられなくなってから**、薬を、頼む**。
**——**看護師を、**呼ぶ**。
**——**待つ**。
**——**そして、**注射を、受ける**。
**——**四時間おき、**とされていても、**「必要なときに」**という但し書きが、付いていた**。〉
**——**何が、起きるか**。
〈**(1)**痛みが、**戻ってくるのを、待つ**ことになる**。
**〈——「次の痛みが来る」という恐れが、**痛みそのものを、強くする**。〉**
**(2)**そして、**薬を頼むことが、**負い目になる**。
**(3)さらに、**強い痛みは、**抑えるのに、**より多くの量が、要る**。〉
**——**ソンダースが、**変えたこと**。
〈**——**時計で、**決まった時刻に、与える**。
**——**痛みが、**来る前に**。
**——**そして、**その人に合った量を、**探して、決める**。
**〈——「痛みの前を、行く」。〉〉**
**——**そして、**もう一つ**。
〈**——**眠らせるためではない**。
**——**起きていられるために、**与える**。
**——**話せて、**食べられて、**人に会える状態を、保つ**。
**〈——モルヒネの経口投与を、**定時で、細かく調整する**。**
**——「ブロンプトン・カクテル」から、**単剤の、量の設計**へ。〉〉**
**——**依存の心配**。
〈**——**繰り返し、反対された**。
**——**そして、**示されたこと**。
**〈——痛みがある人に、**痛みに見合った量**を与えても、**
**——多幸感や、**依存には、**なりにくい**。〉**
**——**この観察が、**後に、**別の方向へ、引き伸ばされる**。
**〈——[[opioid-crisis]]。**
**——「がんの終末期に、当てはまること」が、**「あらゆる慢性の痛みに、当てはまる」**と、言い換えられた。〉〉)**
**1967年**。
(**7月**。
〈**——**ロンドン南部、**シデナム**。
**——**セント・クリストファー・ホスピス**が、開いた**。
**——**寄付を、**集めるのに、**十年近く、かかった**。〉
**——**なぜ、病院と別に、作ったのか**。
〈**(1)**病院は、**治すための場所である**。
**〈——治せないと分かった患者は、**「もう、することがない」**と、言われる。**
**——ベッドの奥へ、移される。〉**
**(2)**そして、**ソンダースは、こう言った**。
**〈——「あなたのために、**できることは、まだ、ある**」。**
**——「あなたは、**あなたであるから、大切です**。**
**——最後の瞬間まで、**あなたは、大切です**」。〉**
**(3)さらに、**研究と、教育も、**同じ場所でやる**と決めた**。
**〈——ただ、看取るだけの施設には、しない。**
**——痛みの制御を、**測り、**記録し、**論文にする**。**
**——それが、**医学として、認められるために、要る**。〉〉**
**——**そして、**家族も、入れた**。
〈**——**面会時間を、**設けない**。
**——**子どもも、**入れる**。
**——**そして、**死んだ後も、**遺族を、支える**。〉)
**広がり**。
(**(1)**アメリカ**。
〈**——**1963年、**ソンダースが、**イェールで、講演した**。
**——**1974年、**コネティカットに、最初のホスピス**。
**——**そして、**在宅ホスピスが、**主流になった**。
**〈——1982年、**メディケアが、給付を、始めた**。〉〉**
**(2)**そして、**日本**。
〈**——**1981年、**聖隷三方原病院**(浜松)。
**——**1984年、**淀川キリスト教病院**。
**——**1990年、**緩和ケア病棟が、**診療報酬に、入った**。〉
**(3)さらに、**WHO**。
〈**——**1986年、**「三段階除痛ラダー」**。
**——**弱い薬から、**順に、上げていく**。
**——**そして、**時刻を決めて、**口から、**その人に合わせて**。
**——**世界中の医療者が、**この一枚の図で、学んだ**。〉
**(4)そして、**緩和ケア**という名前**。
〈**——**1975年、**モントリオールのバルフォア・マウント**が、**この語を、使い始めた**。
**——**フランス語圏で、**「ホスピス」に、**別の含みがあった**ため**。
**——**そして、**終末期に限らず、**早い段階から、行うもの**へ、広がった**。〉)
**残ること**。
(——**痛みを、**症状としてだけ、扱わない**。
〈**——**それは、**技術の話ではない**。
**——**[[laughing-gas]]から百七十年、**薬は、既に、あった**。
**——**足りなかったのは、**それを、いつ、どれだけ、誰に、与えるか**という、**設計**である**。〉
**——**そして**。
〈**——**「痛みを、我慢させない」**という主張は、**正しい**。
**——**その正しさが、**三十年後に、**売るための言葉として、使われる**。
**——**同じ言葉が、**誰の口から出るかで、**意味が変わる**。〉)