概要
東路軍4万と、南宋の降兵からなる江南軍10万。博多の石築地で上陸できず、鷹島で船を並べているところに台風が来た。船の多くは急いで造った川船だった。「神風」の語は江戸時代から。フビライは三度目を計画して、やめた。
場所
33.59°N 130.40°E · 日本・福岡県
関わった人(2)
北条時宗AD1251年–AD1284年 · 執権フビライ・ハンAD1215年–AD1294年 · 送った本文
1279年、南宋。 1280年、征東行省。 1281年。 東路軍。高麗の合浦。900隻、4万。忻都、洪茶丘、金方慶。 江南軍。慶元(寧波)。3500隻、10万。范文虎。南宋の降兵。「屯田の道具と種を積んで」。 6月15日に壱岐で合流の約束。 5月3日、東路軍が出た。対馬、壱岐。 6月6日、博多。 石築地。高さ3メートル。上陸できない。 志賀島。 「島の上で、日本軍が船に乗って攻めた」。河野通有。 6月、東路軍は疫病。3000人が死んだ。 壱岐へ。 江南軍は遅れた。范文虎。6月18日に出た。 7月、平戸で合流。 鷹島。 7月30日夜。 台風。 「船が互いにぶつかって壊れた」。 「江南の船は川船で、急いで造って、弱かった」。 「将軍たちは頑丈な船で逃げた」。 鷹島に取り残された兵を、日本軍が殺した。 南宋の兵は殺さず、奴隷に。「唐人は生かした」。 『元史』。「10万のうち帰ったのは3人に1人」。 「14万のうち、7万から8万が」。 高麗の船は、頑丈だった。 フビライ。1283年、三度目の準備。1286年、やめた。「日本は遠く、ベトナムが」。 1294年、死んだ。 1299年、一山一寧が使者に。捕えられて、建長寺の住持になった。 日本。恩賞。土地がない。御家人が困った。永仁の徳政令。 「神風」。 石清水、伊勢。「神が吹かせた」。 神社と寺が「祈祷の恩賞」を求めた。 「神国」。 「神風」の語は、『日本書紀』の伊勢の枕詞。元寇と結びついたのは、ずっと後。 1934年、「神風」。1944年。 鷹島。神崎港。 1980年から、海底。 2011年、船の竜骨。12メートル。 2012年、国の史跡。海底で最初。 てつはう。碇。陶磁器。 2014年、二隻目。 「元寇沈船」。 まだ、沈んでいる。