概要
漢水の要。南宋の北の鍵。フビライは6年囲んだ。イル・ハン国からペルシアの技師を呼び、回回砲を据えた。1273年、樊城が落ち、襄陽の呂文煥が降った。3年後、臨安。マルコ・ポーロは「私の父と叔父が砲を作った」と書いたが、彼らはまだ来ていなかった。
場所
32.01°N 112.12°E · 中国・湖北省
関わった人(1)
フビライ・ハンAD1215年–AD1294年 · 皇帝本文
南宋。長江の北の漢水。襄陽と樊城。向かい合う二つの城。 呂文煥。 1267年、劉整が「襄陽を取れば南宋は」。劉整は南宋から降った将軍。 1268年、阿朮。 包囲。10年、と決めた。 「水軍を作る」。5000隻。7万の水兵。 砦を築いた。鹿門山、白河口。 1269年、南宋が援軍。負けた。 1270年、范文虎。負けた。 1272年、張順と張貴。3000人で漢水を遡って襄陽に入った。張順は途中で死んだ。張貴は出ようとして捕えられて、殺された。 「回回砲」。 フビライがイル・ハン国のアバカに「技師を」。イスマイル、アラーウッディーン。ペルシア人。 1272年末、大都で試した。 カウンターウェイト式。トレビュシェット。ヨーロッパの「マンゴネル」より大きい。 「150斤の石を」。 1273年1月、樊城。「一発で楼が崩れた」。 樊城が落ちた。守将牛富は自分で火に。 2月、襄陽。呂文煥。「降れば殺さない」。 降った。 6年。 呂文煥は元の将軍になり、長江を下る道案内をした。 1275年、賈似道。丁家洲。 1276年、臨安。恭帝。 1279年、崖山。 「襄陽が落ちて、南宋は終わった」。 「マルコ・ポーロ」。「私とニコロとマッフェオが、砲を作った」。1273年に彼らはまだ来ていなかった。1275年に来た。 「マルコは、自分の話に入れた」。 『東方見聞録』のこの一節で、彼が本当に中国にいたか、疑われる。 「回回砲」は、元の砲の名になった。 明の初め、「回回砲」の部隊。 金庸『神鵰侠侶』。襄陽。郭靖と黄蓉。 「16年守った」。 「郭靖は、襄陽で死んだ」。 中国の人は、襄陽と言えば、郭靖。 1268年から1273年。 6年。 「呂文煥は降ったが、郭靖は降らなかった」。 小説が。