ジャージー・ショアのサメ襲撃事件
概要
1916年7月、ニュージャージー州の海岸と入り江で12日間に5人がサメに襲われ4人が死んだ。全米にサメへの恐怖を広げ、『ジョーズ』の下敷きの一つとされる。
場所
40.00°N -74.10°E · アメリカ合衆国・ニュージャージー州
本文
1916年の夏、アメリカ東部は猛暑に見舞われ、ニューヨークを中心にポリオ(小児まひ)が大流行していた。都会の暑さと病気から逃れようと、多くの人がニュージャージー州の海辺の保養地、ジャージー・ショアへ押し寄せた。そのころ、サメが人を襲うことはまずないというのが、学者の間でも一般の常識だった。
最初の犠牲者は7月1日の土曜日に出た。ロングビーチ島の保養地ビーチヘイブンで、フィラデルフィアから家族と休暇に来ていた23歳のチャールズ・ヴァンサントが、夕食前のひと泳ぎの最中に足をかまれた。救助員らが浜へ引き上げたが、サメは岸近くまで追ってきたと救助に加わった男は語っている。ヴァンサントは左の太ももの肉を食いちぎられており、ホテルの帳場の机の上で出血のため死んだ。
それでも浜辺は閉じられなかった。7月6日、北へ70キロほどのスプリングレイクで、ホテルのベル係だったスイス出身の27歳、チャールズ・ブルーダーが沖合で襲われた。腹をかまれ、両足を失い、救助のボートで浜へ運ばれる途中で死んだ。新聞はこの事件を一面で伝え、恐怖は一気に広がった。ホテルの客と従業員は、スイスにいるブルーダーの母親のために寄付を集めた。保養地の客は激減し、海水浴客が4分の3減ったところもあったという。保養地の損失は25万ドルにのぼったと見積もられている。
7月8日、ニューヨークのアメリカ自然史博物館で学者たちが記者会見を開き、三度目の襲撃は考えにくいと述べた。ところが7月12日、事件は思いもよらない場所で起きる。海岸から入ったラリタン湾の奥、マタワンの町を流れる入り江である。昼過ぎ、泳いでいた11歳のレスター・スティルウェルがサメに水中へ引き込まれた。その日、地元の船長が入り江でサメを見たと知らせていたが、町の人々は取り合わなかったという。マタワンは海辺の保養地というより内陸の田舎町に近く、だれもサメが来るとは思っていなかった。少年を探して飛び込んだ24歳のスタンリー・フィッシャーも町の人々の目の前でかまれ、病院へ運ばれたが死んだ。その30分ほど後、少し離れた場所で14歳のジョセフ・ダンが左足をかまれた。兄と友人がサメと綱引きのようにして引き戻し、ダンだけは助かった。ダンは病院で手当てを受け、9月に退院している。
12日間で5人が襲われ、4人が死んだ。町の人々は入り江にダイナマイトを投げ込み、海岸では懸賞金のかかったサメ狩りが始まった。保養地は海水浴場を鉄の網で囲った。7月14日、ラリタン湾でホホジロザメが捕らえられ、その胃から人の骨とみられるものが見つかったと報じられた。これで襲撃はやんだが、一匹のサメの仕業だったのか、複数だったのか、また種類がホホジロザメだったのか、淡水にも入り込むオオメジロザメだったのかは、いまも議論が続いている。
この事件は、サメについての学問の常識を書き換えた。ニューヨークの自然史博物館の学者たちは、はじめ襲撃を軽く見ていたが、のちに考えを改めている。それまで推測で語られていた、サメが人を襲う力と習性について、学者たちは見直しを迫られた。同時に、サメは人を食う怪物という像がアメリカの大衆文化に刻み込まれた。
60年近く後の1974年、ピーター・ベンチリーが小説『ジョーズ』を書き、翌年スティーヴン・スピルバーグが映画にした。夏の保養地を襲う巨大なサメと、客足を気にして浜を閉じようとしない町、という筋立ては、1916年の夏の出来事とよく重なる。ベンチリー自身は着想のもとについて別の話も挙げているが、この事件はしばしば『ジョーズ』の下敷きの一つとされている。