概要
先に咸陽に入った劉邦を、項羽が宴に呼んだ。剣舞にかこつけて殺す手筈が、項羽のためらいで流れる。劉邦は厠へ行くふりをして逃げた。4年後の楚漢の決着が、ここで決まっていたと言われる。
場所
咸陽
34.33°N 108.71°E · 中国・陝西省
34.33°N 108.71°E · 中国・陝西省
関わった人(2)
項羽BC232年–BC202年 · 招いた側劉邦BC256年頃(BC247年説あり)–BC195年 · 逃げた側本文
先に関中に入った者が王になる。
そう約束されていた。
劉邦が先に咸陽に入った。
項羽が40万で来た。
劉邦は10万。
項羽の陣営に、劉邦を殺せという声があった。
范増。
鴻門で宴が開かれた。
劉邦は自ら赴いて、詫びた。
宴の席で、范増が合図を送った。
項羽は動かない。
范増は項荘に剣舞をさせた。
舞いながら近づいて刺す。
項伯が立って一緒に舞い、身を挺して遮った。
劉邦の臣・樊噲が押し入り、 盾を構えて項羽を睨んだ。
項羽は「壮士だ」と酒を与えた。
劉邦は厠へ行くと言って席を立ち、 そのまま馬で逃げた。
范増は玉斗を叩き割って言った。
「竪子、ともに謀るに足らず」。
4年後、項羽は垓下で死ぬ。