概要
秦を倒した最強の武人。天下を分けたが劉邦に敗れ、垓下で31歳で死んだ。
関わったできごと(2)
鴻門の会BC206年 · 招いた側垓下の戦いBC202年 · 楚側 · 総指揮本文
楚の名門の武将の家に生まれた。
若い頃、始皇帝の行列を見て 「あれに取って代わってやる」と言ったと伝わる。
戦いでは、ほぼ負けなかった。
鉅鹿の戦いでは、河を渡った後に船を沈め、 釜を壊し、三日分の食糧だけ持たせた。 退路を断つ「破釜沈船」になる。
一方で、人を使えなかった。
范増という優れた参謀を疑って遠ざけた。 降伏した秦兵20万を生き埋めにしたとも伝わる。 咸陽を焼き、財宝を持ち帰った。
「錦を着て夜歩くようなものだ」と言われ、 故郷へ帰りたがったという話が残る。
垓下で包囲され、 四面から楚の歌を聞いた。
烏江で自刃した。31歳。
渡し船があったが、 江東の子弟8000人を失って帰れないと断った。