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Event / できごと

呉の滅亡(晋の統一)

Fall of Wu and unification under Jin
AD280年3月
重要度 5

概要

王濬が蜀で造った楼船で長江を下り、呉が川に張った鉄の鎖を松明の筏で焼き切った。「千尋の鉄鎖、江底に沈む」。孫皓は石頭城で棺を担いで降った。黄巾から96年。三国が終わり、晋が一つにした。統一は37年しか続かなかった。

場所

南京
32.06°N 118.80°E · 中国・江蘇省

関わった人(2)

司馬炎AD236年–AD290年 · 皇帝孫皓AD242年–AD284年 · 降った

本文

279年11月。晋。 杜預、王濬、王渾、司馬伷、王戎、胡奮。六路。20余万。 王濬。益州刺史。7年、船を造った。楼船。「方百二十歩、二千余人を受く」。木屑が長江を流れて呉に着き、呉の建平太守吾彦が「晋は船を造っている。建平の兵を増やせ」。孫皓は聞かなかった。 呉は長江に鉄の鎖を張り、鉄の錐を沈めた。 王濬は大きな筏を先に流して錐を抜き、松明を積んだ筏で鎖を焼いた。 280年2月、西陵、荊門、夷道、楽郷。 3月、杜預が江陵。 「今、兵威はすでに振るい、破竹の勢いだ。数節を破れば、あとは刃を迎えて解ける」。「破竹」。 王濬は下った。「風に乗って、直ちに建業へ」。 3月15日、石頭城。 孫皓。「輿櫬を負い、面を縛って降った」。棺を担いで、手を縛って。 杜預は「王濬に譲れ」、王渾は「私が先だ」。 「太康」。 呉。孫権の222年から。59年。孫策から数えれば85年。 三国。黄巾の184年から96年。董卓の189年から91年。曹丕の220年から60年。

孫皓は洛陽で「帰命侯」。 「この席は、お前のために」。 「私も南で、陛下のために」。 賈充が「南でなぜ人の目をえぐり、顔の皮を剥いだ」。「臣として君を殺した者に、その刑を」。賈充は黙った。 284年、死んだ。42歳。 呉の人。陸機、陸雲。陸遜の孫。晋に仕えた。「呉の亡国の臣」と洛陽で笑われた。「文賦」。「華亭の鶴唳」。八王の乱で殺された。 「晋の統一」は、37年。 316年、長安。 317年、司馬睿が建業で東晋。呉の都で。 「三国が一つになって、また南北に」。 蘇軾。「大江東去、浪淘尽、千古風流人物」。 杜甫。「三顧頻煩天下計、両朝開済老臣心」。 「三国志」。陳寿。280年代に書いた。呉が滅びたその年から。 「三国演義」。羅貫中。14世紀。 「三国志」は歴史で、「三国演義」は物語。 日本人が読んだのは、演義。吉川英治。横山光輝。 「天下三分」は、96年で終わった。

同じ時代のできごと

竹林の七賢AD260年頃ガリア帝国AD260年ローマ皇帝が捕らわれるAD260年蜀の滅亡AD263年司馬炎の晋建国AD266年2月ゼノビアのパルミラ267年ナイススの戦いAD269年砂漠の修道制の始まりAD270年頃