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Event / できごと

ナイススの戦い

Battle of Naissus
AD269年
重要度 4

概要

ゴート族とヘルール族が数万で船で黒海からバルカンへ。クラウディウス2世が近衛と騎兵でナイススで潰した。「ゴティクス」。翌年、疫病で死んだ。次のアウレリアヌスがゴートをドナウの北へ追い、ダキアを捨てた。ゴートは100年、来なかった。

場所

ナイスス(ニシュ)
43.32°N 21.90°E · セルビア

本文

268年か269年、ゴート族、ヘルール族、ゲピダエ族、ペウキニ族が、黒海の西岸から大艦隊で来た。史料は32万人と2000隻を言う。誇張だが、多かった。テッサロニキを囲み、マケドニアとギリシアを荒らした。一部はアテネを襲った(267年、歴史家デクシッポスがアテネの市民兵で戦った)。

ガリエヌス帝が迎えたが、ミラノで部下に殺され、その部下たちが担いだのがクラウディウス。クラウディウスはナイスス(現在のセルビアのニシュ)で会戦した。ゴートは山地に囲まれ、ローマの騎兵が後ろを断った。伝えでは5万人が死んだ。生き残りはハエムス山脈で飢えと疫病で減り、船に戻れた者はエーゲ海でローマ艦隊に追われた。

クラウディウスは「ゴティクス」の称号を得た。2年後、シルミウムで疫病で死んだ。50年の軍人皇帝の中で、殺されずに死んだ数少ない皇帝。後のコンスタンティヌスが、自分の家系を彼につなげた(作り話)。

弟が3週間皇帝を名乗って死に、アウレリアヌスが継いだ。アウレリアヌスはゴートをドナウの北で叩き、ダキアの属州を捨ててドナウの南に住民を移した。トラヤヌスが106年に取った土地を、165年で手放した。

ゴートは100年、来なかった。376年に来たときは、フン族に追われて、ローマの内側に入れてくれと頼んで来た。

同じ時代のできごと

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