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Person / 人

司馬炎

Sima Yan
AD236年 – AD290年(享年54・推定)
重要度 4

概要

司馬昭の長子。武帝。禅譲で晋を建て、呉を取って統一した。太康の治。占田法。それから羊の車で後宮を回り、羊が止まった所で寝た。後宮1万人。一族を27の王に封じて兵を持たせ、白痴の息子を太子にした。死んで1年で八王の乱。

関わったできごと(2)

司馬炎の晋建国AD266年2月 · 皇帝呉の滅亡(晋の統一)AD280年3月 · 皇帝

本文

司馬炎。安世。236年。 司馬懿の孫。司馬昭の長子。 265年8月、父が死んだ。晋王。 12月、禅譲。「泰始」。 「魏の失敗」。「宗室を弱くした」。 27人の王。「兵を持てる」。「郡に赴く」。 273年、「良家の女子を選ぶ。隠す者は罪」。「婚姻を禁じた」。 280年、呉。 「太康」。 「羊の車」。「竹の葉を門に挿し、塩を撒いた」。羊が竹を食べに来る。 後宮、1万人。 「戸調式」。「占田」。「課田」。 「郡の兵を解いた」。「刺史は民政だけ」。 「州郡の兵がなくなって、乱が起きても止められなかった」。 太子。司馬衷。「白痴」。「肉粥」。 「司馬攸を」。弟。「衆望」。「攸を斉に帰らせよ」。攸は憤って死んだ。 楊駿。皇后の父。 290年4月、死んだ。55歳。 「恵帝」。 賈南風。 楊駿を殺した。 八王。

「武帝」。 「寛厚、鎮静」。「三国を一つに」。 「奢侈」。「羊車」。 「石崇と王愷の富の競争を、皇帝が助けた」。「珊瑚の木」。 「乱の種を全部蒔いた」。「宗室、外戚、白痴の太子、州郡の兵を解いた」。 「太康の治」は「泰始・咸寧・太康」の25年。 「彼の一代で、魏の45年より長く安定した」。 「彼が死んで、11年で長安が焼け、26年で西晋が消えた」。 陳寿は『三国志』を、彼の時代に書いた。 「晋を正統にするために、魏を正統にした」。 「蜀を『先主』『後主』と書いた」。 司馬炎の陵。峻陽陵。洛陽の北。 2000年、発掘されていない。