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Event / できごと

ガリア帝国

Gallic Empire
AD260年
重要度 3

概要

皇帝がペルシアに捕えられた年、ライン軍がポストゥムスを皇帝に立てた。ガリア、ブリタニア、ヒスパニアが14年、別の帝国になった。皇帝も元老院も貨幣もあった。アウレリアヌスが終わらせる。

場所

トリーア
49.75°N 6.64°E · ドイツ

本文

260年、ウァレリアヌスがペルシアに捕えられた。 息子のガッリエヌスは帝国の東と西の両方を守れなかった。 ライン軍の司令官ポストゥムスが、 ガッリエヌスの息子(コロニアにいた)を殺して、皇帝を名乗った。

ガリア、ゲルマニア、ブリタニア、ヒスパニア。 都はコロニア・アグリッピナ(ケルン)、のちにトリーア。 元老院があり、執政官があり、 近衛兵があり、貨幣が打たれた。 ローマの制度をそのまま写した、もう一つのローマ。 ポストゥムスはローマを攻めなかった。 「ガリアを守る」と言った。

269年、ポストゥムスは部下に殺された。 略奪を許さなかったことで。 ウィクトリヌス、テトリクス。 ヒスパニアは離れ、 274年、アウレリアヌスがカタラウヌム(シャロン)でテトリクスを破った。 テトリクスは戦いの途中で降った、と言われる。 ローマの凱旋式でゼノビアと並んで引き回され、 それからルカニアの総督にされた。

同じ時期、東ではパルミラのゼノビアが同じことをしていた。 帝国は三つに割れていた。 アウレリアヌスが5年で一つに戻し、 「世界の修復者」と呼ばれ、 275年に部下に殺された。

トリーアは、その後もガリアの都であり続けた。 コンスタンティヌスがそこで育ち、 4世紀の皇帝たちの西の都になった。 黒い門(ポルタ・ニグラ)が残っている。

同じ時代のできごと

サハラへのラクダの導入3世紀正始の音(玄学の始まり)AD240年マニ教の成立AD240年頃箸墓古墳AD250年頃キプリアヌスの疫病249年高平陵の変AD249年マヤ古典期AD250年デキウスの迫害AD250年