できごと

カナダの策謀(偽映画作戦)

Canadian Caper
AD1980年1月27日
重要度 2
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概要

イランの米大使館占拠を逃れた米外交官6人を、カナダとCIAが偽の映画撮影隊に仕立てて出国させた作戦。

場所

テヘラン
35.69°N 51.39°E · イラン

本文

1979年11月4日、イランの首都テヘランで、イスラム主義の学生たちがアメリカ大使館を占拠し、大使館員らを人質にとった。この年のイラン革命で国を追われ、アメリカに入国した前国王パフラヴィーの身柄を引き渡せというのが要求だった。人質の多くは、1981年1月まで444日にわたって解放されなかった。

占拠のとき、大使館の敷地の別棟にある領事部で働いていた何人かは、街へ逃れた。一つの組はまもなく捕まったが、領事部員ロバート・アンダースらの組は、タイ人の料理人の助けを借りて家から家へと身を隠した。数日後、アンダースは旧知のカナダの移民担当官ジョン・シアダウンに連絡し、シアダウンは一行を自宅に迎え入れた。カナダ大使ケン・テイラーも夫妻2人を自分の公邸に引き取り、スウェーデン大使館にかくまわれていたもう1人も加わって、6人のアメリカ人が2軒のカナダ人の家で暮らすことになった。潜伏は79日に及んだ。

テイラーは本国の外相フローラ・マクドナルドと首相ジョー・クラークに助けを求めた。2人は、6人にカナダの旅券を持たせて国際線で出国させる案を支持した。偽りの身元で旅券を出すことはカナダの法律で禁じられていたため、クラーク内閣は秘密の政令を出して本物の旅券を発行した。イランの査証の偽造と、出国のための筋書きは、アメリカの中央情報局(CIA)が受け持った。

CIAで変装と脱出の専門家だったトニー・メンデスと同僚のエド・ジョンソンが選んだ筋書きは、映画のロケハンだった。6人を、中東風の異星を舞台にしたSF映画の撮影地を探しに来たカナダ人の撮影隊に見せかけるのである。メンデスはハリウッドの特殊メイクの名人ジョン・チェンバースの協力を得て、ロサンゼルスに「スタジオ・シックス・プロダクションズ」という本物の事務所を開き、業界誌に映画『アルゴ』の広告まで出した。問い合わせの電話がかかってきても、受付が応じる手はずだった。

準備の途中、カナダ大使館の職員が、偽造した査証の日付がイランの暦(年の初めが春分)とずれていることに気づいた。予備の旅券があったため、メンデスたちは日付を直した査証を作り直すことができた。1月下旬、メンデスとジョンソンはテヘランに入り、6人と打ち合わせた。そして1月27日の朝、8人はメヘラーバード空港の出国審査を難なく通り、スイス航空の便でチューリッヒへ飛び立った。同じ日、カナダは大使館を閉じ、テイラーらも帰国した。チューリッヒに着いた6人はCIAの隠れ家で一夜を過ごし、西ドイツのラムシュタイン空軍基地を経て、1月30日にアメリカへ戻った。救われたのは、領事部員ロバート・アンダース、マーク・ライジェックとコーラ・ライジェックの夫妻、ジョセフ・スタッフォードとキャスリーン・スタッフォードの夫妻、農務担当官のリー・シャッツの6人である。かくまったテイラー夫妻やシアダウン夫妻らには、のちにカナダ勲章が贈られた。

まもなくモントリオールの新聞の記者がこの話を報じ、世界に広まった。カーター大統領は交渉のため、行方の分からない外交官もすべて人質に含まれると公式には言い続けていたので、6人の救出はアメリカの人々にとって大きな驚きだった。アメリカ各地にカナダの国旗が掲げられ、カナダに感謝する看板が立った。テイラーはアメリカ議会から金メダルを贈られている。

ただし、CIAの役割は残る人質の安全のために長く伏せられ、作戦はカナダの手柄として語られてきた。CIAの関わりが公になったのは、記録の機密が解かれた1997年のことである。メンデスは回想録を書き、2012年にはそれをもとにした映画『アルゴ』が作られてアカデミー作品賞を得た。映画はCIAの活躍を大きく描いたため、カナダ側の働きが小さく扱われたという批判も受けた。残る52人の人質は、軍による救出作戦の失敗を経て、1981年1月20日に解放された。

動画(1)

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