座席予約システム
概要
航空会社の座席は、回転する棚のカードで管理されていた。電話を受けた係が棚を回し、空きを探し、鉛筆で書く。一件に数十分かかり、間違えれば二重に売る。アメリカン航空とIBMが、大型計算機を電話回線で結ぶ仕組みを作った。名はセイバー。全国の端末から同じ在庫を見て、その場で確定する。世界最大級の民間のオンライン処理系であり、後の予約と発券のほとんどが、この形を踏襲している。待つ側が、いつ乗れるかを、先に知れるようになった。
場所
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国
本文
1950年代のアメリカで、航空会社の座席はカードで管理されていた。アメリカン航空の予約センターには、回転する大きな棚が置かれ、便ごと日ごとに一枚ずつカードが差してあった。カードには残りの席の数が書かれている。客から電話がかかると、係が棚を回して該当のカードを探し、空きがあれば鉛筆で印を付ける。別の係が乗客の名を名簿に書き、その情報を電話やテレタイプで、ほかの都市の営業所へ知らせる。
一件の予約が仕上がるまでに、平均で1時間半ほどかかったとされる。一つの予約に十数人の手が関わることもあった。手作業なので間違いも起きる。同じ席を二人に売ってしまうこともあれば、売れたはずの席が空いたまま飛ぶこともあった。各都市の営業所は割り当てられた席数を抱えていたため、ニューヨークで売り切れた便に、シカゴの分の空席が残っていても融通がきかない。便の数が増え、ジェット機の時代が近づくと、このやり方は限界に来ていた。
始まりは、1953年の機内での出会いだったと語られる。アメリカン航空の社長C・R・スミスが、ロサンゼルスからニューヨークへ向かう便で、IBMの営業担当R・ブレア・スミスと隣り合わせた。同じスミスという名の二人は話し込み、計算機で座席を管理できないかという話になった、という。逸話は少し出来すぎているが、繰り返し語られてきた。
IBMには、それを実現する経験があった。当時IBMは、アメリカ空軍の防空システムSAGE(セージ)の計算機を作っていた。各地のレーダーが捉えた情報を電話回線で中央の大型計算機に集め、その場で処理して迎撃の指示を出す仕組みである。同じことを、座席でやればよい。全国の予約係の端末を電話回線で中央の計算機につなぎ、ひとつの在庫を全員で見ながら、その場で予約を確定させる。
1957年、両社は共同開発の契約を結んだ。仕組みの名はセイバー(SABRE)。防空システムの名を意識した頭字語で、「半自動の業務調査環境」を意味した。1960年に最初の系が動き出し、1964年には全米の予約がこの系で扱われるようになった。中心に置かれたのは、ニューヨーク州ブライアークリフ・マナーの2台の大型計算機である。1台が働き、もう1台は待機する。座席の予約は止まってはならないからである。全国の端末から電話回線でつながり、一日に8万件を超える問い合わせをさばいた。開発には数百人の技術者が関わり、費用は当時のジェット旅客機を何機も買えるほどにのぼった。軍を除けば、当時世界で最大級のオンライン処理の系だった。
何が変わったのか。まず在庫が一つになった。どの都市の係も同じ座席表を見るので、全部の席を無駄なく売れる。次に、予約がその場で確定するようになった。1時間半かかっていた手続きが、数秒で済む。そして記録が残るようになった。誰が、いつ、どこからどこへ、いくらで予約したか。その記録が積み重なると、どの便がいつ埋まり、どの席が売れ残るかが読めるようになる。1980年代、アメリカン航空はこの記録をもとに、同じ便の同じ席でも、買う時期や条件によって値段を変える仕組みを体系立てた。空席のまま飛ばすより、安くしてでも売ったほうがよい。いま私たちが当たり前に見ている、航空券の値段が日ごとに動く仕組みの始まりである。
日本でも同じ頃、国鉄が座席の予約を計算機に任せる仕組みを作っていた。1960年、東京駅などで特急の指定席を扱う「マルス」が動き出し、駅の窓口で座席がその場で取れるようになった。のちに東海道新幹線の指定席も、この系の後継が受け持つことになる。
やがて予約の系は、航空会社そのものより大きな力を持つようになる。1976年、アメリカン航空は旅行代理店にセイバーの端末を置き始めた。代理店はその画面で、他の会社の便も含めて検索し、予約する。ところが画面の上のほうには、アメリカン航空の便が出やすいように作られていた。代理店の係は最初の画面から選ぶことが多く、表示の順番がそのまま売り上げに響いた。この偏りは問題になり、1984年、連邦政府は予約の画面を中立に表示するよう求める規則を定めた。アメリカン航空の首脳が、航空会社とセイバーのどちらかを売れと言われたら航空会社を売る、と語ったと伝えられるほど、予約の系は利益を生んだ。
2000年、セイバーはアメリカン航空から切り離され、独立した会社になった。ヨーロッパの航空会社が作ったアマデウスなどと並び、いまも世界の航空券の流通の大きな部分を担っている。インターネットの旅行予約のサイトの多くも、画面の裏ではこうした系につながっている。
セイバーが変えたのは、航空券の売り方だけではない。待つ側が、自分がいつ乗れるかを先に知れるようになった。それが予約という仕組みの本質である。同じ考え方は、ホテル、劇場、レストラン、病院、役所の窓口へと広がった。列に並んで待つかわりに、時刻と席をあらかじめ押さえる。行列の理論が待ち時間を数で扱おうとしたように(待ち行列の理論)、予約の系は待つこと自体を前もって片づけようとした。そして同時に、予約が取れないという、新しい待ち方も生まれた。
この仕組みを支えた技術は、ENIACからわずか十数年の計算機の進歩の上にあった。大型計算機を電話回線で遠くの端末とつなぎ、多くの人が同時に同じ記録を書き換える。銀行のオンラインの窓口も、のちのインターネットの商取引も、その延長にある。1953年の機内の雑談から生まれた系は、計算機が研究所や軍を出て、人々の日々の暮らしの中で働き始めた最初の大きな例の一つだった。