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Event / できごと

マンジケルトの戦い

Battle of Manzikert
AD1071年8月26日
重要度 4

概要

セルジューク朝がビザンツ皇帝を捕虜にした。アナトリアがテュルクの土地になりはじめ、十字軍を呼ぶ遠因になる。

場所

マンジケルト
39.14°N 42.54°E · トルコ・ムシュ県マラズギルト

関わった人(2)

アルプ・アルスラーンAD1029年頃–AD1072年 · セルジューク側 · 総指揮アレクシオス1世コムネノスAD1057年–AD1118年8月15日 · 10年後に帝位を

本文

皇帝ロマノス4世が捕虜になった。

戦闘そのものより、 その後の内部分裂のほうが影響した。

戦場で、有力貴族の指揮する部隊が 戦わずに退いている。

セルジューク朝のスルタン、アルプ・アルスラーンは、 捕らえた皇帝を丁重に扱い、条件を付けて解放した。

帰った皇帝は、都で廃位され、 目を潰されて死んだ。

以後、帝位をめぐる内戦が続く。 その隙に、テュルク系の集団がアナトリアへ入った。

アナトリアは、それまで帝国の兵力と税収の中心だった。 そこを失う。

20年後、皇帝アレクシオス1世が 西方へ傭兵の派遣を求める。

その要請が、十字軍の呼びかけへ変わっていく。

出典(1)

エドワード・ギボン ローマ帝国衰亡史第57章

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