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Event / できごと

前九年の役

Former Nine Years' War
AD1051年(永承6年)
重要度 4

概要

陸奥の安倍氏が納税を止め、源頼義が12年戦った。黄海で負け、出羽の清原氏を味方につけ、厨川で安倍貞任を殺した。頼義の子義家が「衣の館はほころびにけり」と歌を詠みかけ、貞任が「年を経し糸の乱れの苦しさに」と返した。源氏が東国の武士を得た。

場所

衣川
39.00°N 141.10°E · 岩手県奥州市

関わった人(2)

源頼義AD988年–AD1075年 · 将軍源義家AD1039年–AD1106年8月4日 · 子

本文

奥六郡(岩手の内陸、胆沢から岩手まで)に安倍氏がいた。俘囚の長。蝦夷の子孫で、朝廷の側についた家。半ば独立した権力で、納税と労役を止めた。1051年、陸奥守が討って負けた。朝廷は源頼義を陸奥守にした。

頼義は初め安倍頼時を赦し、頼時は従った。1056年、頼義の部下が夜に襲われ、頼義は頼時の子貞任の仕業だと言い、貞任を出せと言った。頼時は拒んだ。戦争。頼時は矢で死に、貞任が継いだ。

1057年、黄海(きのみ)の戦い。頼義は1800で貞任の4000に、雪の中で負けた。頼義は7騎になった。息子の義家(13歳で初陣、この時19歳)が矢で敵を射て父を守った、と『陸奥話記』は書く。

5年、頼義は兵が集まらなかった。出羽の俘囚の長、清原光頼と武則に頼み、清原が1万で来た。1062年、厨川柵。貞任は重傷で担ぎ込まれて死に、弟の宗任は降った。貞任の子は5歳で殺された。

『古今著聞集』の話。衣川で逃げる貞任に義家が「衣のたてはほころびにけり」と歌の下の句を呼びかけ、貞任が振り返って「年を経し糸の乱れの苦しさに」と上の句を返した。義家は感心して弓を引かなかった。作り話だろう。武士が歌を詠む世界の話。

頼義は伊予守、義家は出羽守。清原武則が鎮守府将軍で奥六郡を得た。安倍宗任は伊予、のち九州へ。安倍晋三の家は宗任の子孫を称した。

同じ時代のできごと

西夏文字の制定AD1036年宋の活字と羅針盤AD1040年頃畢昇の活字AD1045年頃ダンダーナカーンの戦いAD1040年慶暦の改革AD1043年パガン朝の成立AD1044年バガン朝の成立AD1044年カホキアの繁栄AD1050年