概要
釈迦の死から2000年、正法1000年、像法1000年が終わり、末法1万年が始まると計算された。教えだけ残って行も証もない。この年、頼通が平等院を。源信の『往生要集』が読まれ、経を土に埋める経塚が各地に。法然、親鸞、日蓮、道元は末法の中で生まれた。
場所
京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
本文
釈迦が死んでから、正法1000年、像法1000年、それから末法1万年。正法は教えと修行と悟りがある。像法は教えと修行だけ。末法は教えだけ残って、修行する人も悟る人もいない。『大集経』などの計算。
釈迦の死をBC949年とする説(『周書異記』)で数えると、正法と像法の2000年が終わって末法に入るのが1052年(永承7年)。日本の貴族は、そう数えた。
前年から地震と火事が続いていた。1052年、頼通の宇治の別荘が寺になり、その年の関白の日記に「末法に入る」と書かれる。1053年、鳳凰堂。それから、経塚が全国に作られた。経を銅の筒に入れて、山に埋める。弥勒が来る56億7000万年後まで残るように。藤原道長が1007年に金峯山に埋めた経筒が最初で、末法のあと、一気に増えた。
源信の『往生要集』(985年)が読まれた。地獄の描写と、念仏で阿弥陀の浄土へ行く道。貴族は阿弥陀堂を建て、念仏を唱えて、阿弥陀の来迎を待った。
100年後、末法の中で、法然が「念仏だけでよい」と言い、親鸞が「悪人こそ」と言い、日蓮が「法華経だけ」と言い、道元が「座禅だけ」と言った。末法は、鎌倉仏教の前提だった。
中国でも隋の信行が末法を説いて三階教を作った。ただ中国では末法の年を552年とする数え方が多く、日本の1052年は日本の計算。