概要
信長の次男信雄が家康と組んで秀吉と対した。秀吉10万、家康1万6000。小牧山で対陣。秀吉の別働隊が三河を突こうとして、長久手で家康に襲われ、池田恒興と森長可が死んだ。秀吉は戦場で家康に勝てず、信雄と講和して家康の梯子を外し、翌年、妹と母を人質に送って家康を臣従させた。
場所
小牧
35.29°N 136.91°E · 愛知県小牧市
35.29°N 136.91°E · 愛知県小牧市
関わった人(2)
豊臣秀吉AD1537年–AD1598年 · 講和で徳川家康AD1543年–AD1616年 · 長久手で勝った本文
1584年。織田信雄(信長の次男)は、秀吉に領地を減らされ、家臣3人を秀吉と通じたとして殺した。秀吉は信雄を攻めた。信雄は家康を頼った。家康は「信長の子を助ける」という名分を得た。
3月、家康は小牧山(信長が美濃攻めの前に城を置いた山)に入った。秀吉は犬山城。秀吉10万、家康と信雄1万6000。両方が砦と土塁を築いて、動かなかった。
4月、秀吉の甥の三好秀次(後の秀次)が、池田恒興と森長可と共に2万で三河の岡崎を突く迂回策に出た。家康は察して、夜、追った。4月9日、長久手。秀次の軍は後ろから襲われて崩れ、池田恒興と森長可が死んだ。徳川の勝ち。秀吉は本隊で来たが、家康は小牧山に戻っていた。
秀吉は戦場で家康に勝てなかった。11月、信雄と講和した。伊賀と伊勢の一部を取った。家康は戦う名分を失って、兵を返した。「梯子を外された」。
秀吉は家康を臣従させたかった。翌1585年、関白。1586年、妹の朝日姫(44歳、夫と離縁させて)を家康の正室に送った。家康は動かなかった。母の大政所を岡崎に人質に送った。家康は大坂へ上って、秀吉に頭を下げた。秀吉は前の晩に家康の宿に来て「明日は皆の前で頭を下げてくれ」と頼んだ、と『川角太閤記』。
秀吉は家康を武力で倒せず、家康は秀吉に従った。16年後、秀吉が死んで、家康が取った。