概要
バシレイオス2世が30年の戦争の決着をつけた。谷の柵を裏から回って、1万5000人を捕えた。100人ごとに片目を残して、他は両目を潰して、サムイルの所へ帰した。サムイルは列を見て倒れ、2日後に死んだ。4年後、ブルガリアはビザンツの州になった。
場所
41.40°N 23.00°E · ブルガリア
関わった人(2)
バシレイオス2世AD958年–AD1025年12月15日 · 皇帝サムイル?–AD1014年10月6日 · 倒れた本文
ブルガリアの皇帝サムイルとビザンツ皇帝バシレイオス2世は、30年戦っていた。986年、トラヤヌスの門でサムイルが勝った。バシレイオスは逃げた。それから毎年、バシレイオスは春にブルガリアに入り、村を焼き、城を落として、冬に帰った。
1014年7月、サムイルはストルマ川の谷の狭い道、クレイディオン(「鍵」)を柵で塞いだ。ビザンツは正面から攻めて、進めなかった。将軍ニケフォロス・クシフィアスが山を回り、7月29日、後ろから来た。ブルガリア軍は挟まれた。サムイルは息子ガブリル・ラドミルに助けられて逃げた。1万5000人(一説に1万4000人)が捕虜になった。
バシレイオスは捕虜の目を潰させた。100人ごとに1人、片目だけ残した。その1人が99人を連れて帰る。列がプリレプのサムイルの所へ着いたのは10月6日。サムイルは列を見て、倒れた。2日後に死んだ。心臓発作、と言われる。
「ブルガロクトノス(ブルガリア人殺し)」。バシレイオスの通称。12世紀の年代記が広めた。
ガブリル・ラドミルが継ぎ、従兄弟のイヴァン・ヴラディスラフに殺され、イヴァンが1018年にデュラキオンで戦死した。皇后マリアと貴族が降った。バシレイオスはオフリドに入り、アテネへ行ってパルテノン(当時は聖母教会)で勝利を感謝した。ブルガリアは350年の帝国から、ビザンツの州になった。バシレイオスは税を金でなく現物で許し、ブルガリアの貴族をビザンツの貴族に取り込んだ。
1185年まで、170年、ブルガリアはなかった。