概要
コミトプリ兄弟の末。ビザンツが東ブルガリアを取った後、西で40年戦った。986年、トラヤヌスの門でバシレイオスを破った。オフリドに都。997年、皇帝。兄弟の子を殺し、娘の恋人を殺した。1014年、目を潰された1万5000人を見て倒れ、2日で死んだ。プレスパ湖の島に墓。
関わったできごと(1)
クレイディオンの戦いAD1014年7月29日 · 倒れた本文
コミトプリ(伯の子たち)。マケドニアの地方総督ニコラの4人の子、ダヴィド、モイセイ、アロン、サムイル。971年、ビザンツのヨハネス1世がブルガリアの東半分を取り、皇帝ボリス2世を捕虜にした。西の4兄弟が残った。
976年、ヨハネスが死んだ。4兄弟が立った。ダヴィドとモイセイが早く死に、サムイルはアロンを、ビザンツと通じたとして、一族ごと殺した(甥のイヴァン・ヴラディスラフだけ、サムイルの息子が命乞いして助かった)。986年、トラヤヌスの門でバシレイオス2世を破った。バシレイオスは軍を捨てて逃げた。
テッサリア、エピロス、セルビア、ドナウの南のブルガリア。プレスパ湖に都、のちオフリド。ブルガリア総主教座をオフリドに移した。997年、ボリス2世の弟ロマンが死んで、皇帝を名乗った。
娘のコサラをドゥクリャ(モンテネグロ)の公ヨヴァン・ヴラディミルに嫁がせた(捕虜だったヴラディミルにコサラが恋をした、という話)。もう一人の娘のミロスラヴァは、捕虜のビザンツ貴族アショトと恋をして、サムイルは二人を結婚させてデュラキオンの総督にし、二人はビザンツへ逃げてデュラキオンを渡した。
1001年から、バシレイオスは毎年来た。1014年、クレイディオン。1万5000人。10月6日、列を見て倒れ、2日後に死んだ。
プレスパ湖のアギオス・アヒレイオス島。聖アキレイオス教会。1965年、ニコラオス・ムツォプロスが墓を発掘した。金の刺繍のある衣の男。サムイルの墓だと考えられている。ギリシア側にある。