できごと

アスキア・ムハンマドのソンガイ

Songhai under Askia Muhammad
1493年 – 1528年
期間を持つできごと重要度 3
バントゥー系の人びと西アフリカの穀作農民アラブ系の人びと白羊朝マムルーク朝オスマン帝国ソンガイ帝国マリ帝国スペイン帝国エチオピア帝国ザイヤーン朝カネム=ボルヌアラゴン王国ハフス朝ハウサ諸王国イスラムの都市国家群コンゴ王国ワッタース朝Funjポルトガル帝国ヴェネツィア共和国モシ諸王国コンゴオヨ王国ジョージア1493年ガオ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っている1493年の版図を描いています(25勢力)。

概要

トンブクトゥの学者を保護し、行政を整えた。西アフリカで最大の国になる。

場所

ガオ
16.27°N -0.04°E · マリ

関わった人(2)

ソンニ・アリ?–AD1492年 · その前代アスキア・ムハンマド?–AD1538年 · 当人

本文

ソンガイは、ニジェール川の中流の町ガオを中心に、川で漁をし船を操る人々の国だった。15世紀の半ばまでは、西の大国マリ帝国に貢ぎ物を納める側にいた。それを一代で大国に押し上げたのがソンニ・アリである。騎兵と川の船団を駆使して、マリが握っていたトンブクトゥとジェンネを奪い、川沿いの広い土地を支配下に入れた。

ソンニ・アリは戦いには強かったが、イスラームの学者たちとは折り合いが悪かった。昔ながらの信仰の儀礼を捨てず、トンブクトゥの学者を迫害したと、後の年代記は記している。年代記の書き手が学者の側だったことは、割り引いて読む必要がある。

ガオを巡回するフランス軍(2013年)
ガオを巡回するフランス軍(2013年)Wikimedia Commons VOA · Public domain

この時代のソンガイの歴史は、17世紀にトンブクトゥの学者たちがアラビア語で書いた二つの年代記に多くを負っている。書き手はアスキア家に近く、イスラームを守った王をたたえる立場にあった。アスキア・ムハンマドの評価が高く、ソンニ・アリが暗く描かれるのには、その事情も関わっている。

1492年、ソンニ・アリが死ぬと、その子が後を継いだ。これに対して、ソンニ・アリの将軍の一人だったムハンマド・トゥーレが兵を挙げ、1493年に新しい王を破って位を奪った。アスキア・ムハンマドである。アスキアは王の称号として名乗ったもので、後の歴代の王もこれを受け継いだ。

位を力で奪った王は、正しさの根拠を別のところに求めなければならない。アスキア・ムハンマドが頼ったのはイスラームだった。即位から数年後、彼は多くの家臣と金を携えてメッカへ巡礼した。かつてのマンサ・ムーサの巡礼を思わせる旅である。その途中のカイロで、アッバース家のカリフから、西アフリカにおける代理の地位を授けられたとされる。

マンサ・ムーサの巡礼に関わる図版:Catalan Atlas BNF Sheet 6 Mansa Musa (cropped)
マンサ・ムーサの巡礼Wikimedia Commons attributed to Abraham Cresques · Public domain

帰国した王は、学者たちを厚く遇した。前の王に追われたトンブクトゥの学者を呼び戻し、裁判官を任じ、モスクと学問の場を支えた。北アフリカの法学者マギーリーに、統治についての問いを送り、答えを受け取ってもいる。異教の慣習を残すムスリムをどう扱うか、といった問いだった。

国の仕組みも作り替えた。国土をいくつもの州に分けて総督を置き、財政、農業、川の船団などを受け持つ役職を設けた。それまでの、戦のたびに農民を駆り集める軍に代えて、職業としての常備軍を置いた。市場には監督を配し、重さと長さの単位をそろえた。

王は外へも兵を出した。南のモシ人の国々に聖戦を挑み、北のサハラのアイルの地を攻め、東のハウサの諸都市(ハウサ諸都市とカノ)にも遠征したとされる。ソンガイは、大西洋に近い地域から現在のナイジェリア北部まで影響を及ぼし、西アフリカの歴史で最も広い国の一つになった(ソンガイ帝国の最盛期)。

この時代のトンブクトゥを訪れたレオ・アフリカヌスは、町には多くの裁判官や学者がいて王に養われ、北アフリカから運ばれた写本が売られており、書物の商いは他のどの品より利が大きい、と書いている。サンコーレのモスクを中心に、法学、神学、天文学を学ぶ人々が集まった。

彼の治世には、ニジェール川の岸に王の農園が広がり、捕虜や奴隷とされた人々が米や穀物を作って、軍と宮廷を養った。学問の都の繁栄も、国の広さも、こうした労働の上に成り立っていた。王の息子たちは数が多く、晩年の宮廷は、その誰が後を継ぐかをめぐる争いに覆われていった。

晩年のアスキア・ムハンマドは目が見えなくなった。1528年、息子のムーサに位を追われ、ニジェール川の島に流される。後に別の息子によってガオに戻され、1538年にそこで死んだ。ガオに残る、日干し煉瓦を積み上げた角錐形の墓は、彼の墓と伝えられ、2004年に世界遺産になった。王の死から半世紀あまり後、ソンガイはモロッコ軍の銃の前に崩れる(トンディビの戦い)。

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