できごと

農耕の始まり

Neolithic Revolution
紀元前90世紀
年に諸説あり重要度 5
紀元前90世紀肥沃な三日月地帯(位置は特定されていない)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っている紀元前90世紀の版図を描いています。

概要

麦を蒔き、羊を囲った。栄養は偏り、身長は縮み、病気は増えた。それでも人口は桁違いに増える。

場所

肥沃な三日月地帯位置は特定されていない(誤差 ±600km)
35.50°N 40.00°E · イラク・シリア・トルコ南部・レバノン・イスラエル

本文

人類は、その歴史の大半を、狩りと採集で生きてきた。ホモ・サピエンスの出現から約30万年のうち、種を播いて作物を育てるようになったのは最後の1万年あまりにすぎない。それ以前の人々は、季節に合わせて移動しながら、木の実や草の実を集め、獣や魚を捕って暮らしていた。最初に家畜になったのは犬で、犬の家畜化は農耕よりずっと前に起きている。

最初に農耕が始まった場所の一つが、西アジアの「肥沃な三日月地帯」である。いまのイスラエルやヨルダンからシリア、トルコ南東部を経て、イラクのチグリス川とユーフラテス川の流域まで弧を描く地域だ。紀元前9000年前後、ここで人々は野生の小麦や大麦、レンズ豆、エンドウ豆を育てるようになり、やがて羊、山羊、牛、豚を飼い始めた。

センネジェムの墓室壁画、畑を耕す場面
センネジェムの墓室壁画、畑を耕す場面Wikimedia Commons Painter of the burial chamber of Sennedjem · Public domain

その前段階として、作物を育てる前に定住を始めた人々がいた。紀元前1万2000年ごろからこの地域にいたナトゥーフ文化の人々は、野生の麦を刈り、石の家に住んでいた。トルコ南東部のギョベクリ・テペでは、農耕が本格的に始まる前に、彫刻を施した巨大な石の柱が立てられていた。大きな儀礼の場を作るために人が集まり、その人々を養う必要が農耕を後押ししたのではないか、という説もある。なぜこの時期に農耕が始まったのかについては、氷期の終わりの気候の変動を重く見る説などがあり、決着していない。

育てられるうちに、植物そのものも変わった。野生の麦は、実が熟すと穂から落ちて地面に散らばる。人が刈り取って播くことを繰り返すうちに、熟しても穂に残る性質を持つ麦が選ばれていった。人が植物を変え、植物もまた人の暮らしを変えた。

イスラエル北部における野生の穀物・草本の分布
イスラエル北部における野生の穀物・草本の分布Wikimedia Commons Alexander Weide , Simone Riehl, Mohsen Zeidi, Nicholas J. Conard · CC BY 4.0

家畜も、やがて肉だけでなく、乳や毛、そして畑を耕す力を人に与えるようになった。牛に引かせる犂や、羊の毛で織る布は、農耕が始まってから数千年のうちに広まっていったものだ。農耕が始まった時期の気候が、それ以前の氷期よりずっと安定していたことも、同じ場所で毎年作物を育てる暮らしを可能にしたと考えられている。

農耕は一か所から世界へ広まったのではない。

大麦の伝播に関する遺伝学的分析(紀元前9000-2000年頃)
大麦の伝播に関する遺伝学的分析(紀元前9000-2000年頃)Wikimedia Commons Diane L. Lister , Huw Jones , Hugo R. Oliveira , Cameron A. Petrie , Xinyi Liu , James Cockram , Catherine J. Kneale, Ol · CC BY 4.0

肥沃な三日月地帯で始まった麦と家畜の農耕は、数千年をかけて四方へ広がった。西はアナトリアからヨーロッパへ、南はエジプトのナイル流域へ、東はイラン高原を越えて、いまのパキスタンのインダス川の近くへ届いた。パキスタン西部のメヘルガルでは、紀元前7000年ごろには麦が育てられていたとされる。中国では長江の流域で稲が、黄河の流域でアワやキビが育てられ始めた。河姆渡の稲は、その初期の様子を伝える例の一つだ。メキシコではトウモロコシの祖先にあたる野生の草テオシントが改良され、トウモロコシの栽培化が進んだ。アンデスではジャガイモやキヌアが、ニューギニアの高地ではタロイモやバナナが栽培された。互いに知らないまま、少なくとも数か所で別々に始まっている。

割に合う選択だったかどうかは、疑わしい。初期の農耕民の骨を調べると、狩猟採集民より背が低く、虫歯が多く、栄養の不足を示す跡が見られることが多い。食べる物の種類は減り、少数の穀物に頼るようになった。凶作になれば飢えた。家畜と近くで暮らすことで、動物から人へうつる病気も増えた。畑を耕し、草を取り、水を引く仕事は長い時間を要した。作家のジャレド・ダイアモンドは、農耕を人類史上最悪の誤りと呼んだことがある。

オハロII遺跡出土、2万3千年前の複合鎌
オハロII遺跡出土、2万3千年前の複合鎌Wikimedia Commons Iris Groman-Yaroslavski , Ehud Weiss, Dani Nadel · CC BY 4.0

それでも農耕は広がった。同じ広さの土地から、ずっと多くの人を養えるからだ。農耕が始まる前の世界の人口は数百万人だったと推計されるが、紀元の初めには2億から3億人に達していたとされる。一度人口が増えると、もう狩りと採集だけで食べていくことはできない。農耕は、後戻りのできない道だった。ヨーロッパへは、アナトリアから移り住んだ農耕民が農耕を運んだことが、古代の人骨の遺伝子の研究から分かってきている。

日本列島では、事情が少し違った。豊かな森と海に恵まれ、縄文土器を作った人々は、本格的な農耕に頼らないまま、長いあいだ定住に近い暮らしを営んだ。水田で稲を作る農耕が九州北部に伝わるのは、紀元前1000年前後のことである。

新石器時代中国における稲・雑穀農耕の分布(He et al., 2017)
新石器時代中国における稲・雑穀農耕の分布(He et al., 2017)Wikimedia Commons Obsidian Soul · CC0

定住は蓄えを生み、蓄えは差を生んだ。イェリコの壁のように、早くから壁で囲まれた集落も現れた。チャタル・ヒュユクでは、数千人が家を寄せ合って暮らした。やがて人々は大きな集落を作り、神殿を建て、灌漑の水路を掘った。ウルクのような都市が生まれ、誰がどれだけ納めたかを記録するための文字が作られた。楔形文字の成立である。王、神官、兵士、職人といった、自分では食べ物を作らない人々が生まれ、税と戦争が始まった。

『サピエンス全史』の著者ハラリは、人が小麦を栽培化したのではなく、小麦が人を家畜化したのだと書いた。私たちの食べ物も、町も、国家も、文字も、そしてこの年表にあるものの大半も、この1万年前の選択の先にある。

動画(1)

The Agricultural Revolution: Crash Course World History #1CrashCourse農耕が本当に「進歩」だったかを、シリーズの最初の回で問うている

出典(12)

ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳) 『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
ジャレド・ダイアモンド(倉骨彰 訳) 『銃・病原菌・鉄 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』第5章 持てるものと持たざるものの歴史
ウィリアム・H・マクニール(佐々木昭夫 訳) 『疫病と世界史』第2章 歴史時代への突入
スティーブン・ピンカー(幾島幸子、塩原通緒 訳) 『暴力の人類史』第2章 平和化のプロセス
ウィリアム・H・マクニール(増田義郎、佐々木昭夫 訳) 『世界史』第I部 ユーラシア大文明の誕生とその発展(BC500年まで)
マット・リドレー(大田直子、鍛原多惠子、柴田裕之 訳) 『繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史』第4章 九〇億人を養う
デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ(酒井隆史 訳) 『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』第6章(農耕は一本道ではなかった)
ジェームズ・C・スコット(立木勝 訳) 『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』第2章(栽培化と定住のあいだの4000年)
ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳) 『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』第2章(人間と動物の関係をどう変えたか)
ウォルター・シャイデル(鬼澤忍、塩原通緒 訳) 『暴力と不平等の人類史 戦争・革命・崩壊・疫病』第1部(不平等はいつ始まったか)
フェルナン・ブローデル(村上光彦 訳) 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』第1巻 日常性の構造(小麦・米・トウモロコシ)
ジャレド・ダイアモンド(倉骨彰 訳) 『昨日までの世界 文明の源流と人類の未来』序(国家のある社会とない社会)

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