犬の家畜化
概要
農業より前に、人は犬と暮らしていた。ボン近郊の墓に、男女と一緒に子犬が葬られていた。1万4200年前。その犬は生後半年ほどで、重いジステンパーを二度患った痕がある。介護なしには生きられない。つまり、役に立たないと分かっていて、誰かが世話をしていた。遺伝子の研究では、家畜化の起源は2万〜4万年前、狼の一系統からとされ、場所は複数説がある。人が最初に結んだ、他の種との長い関係である。
場所
50.70°N 7.15°E · ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州
本文
1914年、ドイツのボン近郊、オーバーカッセルの採石場で玄武岩を掘っていた作業員たちが、人の骨を掘り当てた。墓だった。年代はおよそ1万4200年前、氷河期の終わりに近い旧石器時代の末である。葬られていたのは、40歳前後の男性と、25歳前後の女性、そして一匹の犬だった。墓には、鹿の角や骨を加工した品も添えられていた。
犬の骨は当初、狼のものと考えられ、たまたま混じったものと見なされていた。2018年に発表された再調査で、それが犬であり、人と一緒に葬られたものであることが確かめられた。そしてその犬には、驚くべき事情があった。

犬は生後7か月ほどの若い犬だった。歯と骨には病気の跡が残っていた。犬ジステンパーである。熱が出て、下痢や嘔吐が続き、神経もおかされる重い病気で、当時の環境ではたいてい死に至る。歯の分析から、この犬は生後19週ごろと、21週から23週ごろの少なくとも二度、重い病の時期を経ていたことが分かった。そして生き延びていた。重い時期を越えるには、水と食べ物を与え、体を温め、汚れを始末してやる必要がある。つまり誰かが、何週間もこの犬を看病したのである。
この犬は狩りの役に立たない。番犬にもならない。食べるために飼っていたのなら、病気になった時点で殺していただろう。役に立たないと分かっていて、人はこの犬の世話をした。そして死んだとき、人と同じ墓に入れた。

犬の家畜化がいつ、どこで始まったのかは、いまも決着していない。はっきりしているのは二つのことである。一つは、犬の祖先がハイイロオオカミの仲間であること。ただし、いま生きているどの狼の集団でもなく、すでに絶えてしまった狼の一系統から分かれたと考えられている。もう一つは、それが農業より前だったことである。羊、山羊、牛、豚、鶏、馬、猫。ほかの家畜はみな農業が始まった後に人と暮らし始めたが(猫と人の関係、馬の家畜化)、犬だけは狩猟と採集の時代に人の仲間になった。
時期の推定には幅がある。犬であることが確かな骨は、ボン=オーバーカッセルのほか、中東やシベリアの1万4000年から1万5000年前ごろのものがある。ベルギーのゴイエ洞窟やシベリアのアルタイからは、3万年以上前の「犬らしい」骨も見つかっているが、それが本当に人と暮らした犬なのか、変わった狼なのかは議論が続いている。遺伝子から推定される狼との分かれ目は、2万年から4万年前とされる。場所についても、ヨーロッパ、東アジア、中央アジア、中東と諸説がある。2016年には、東アジアと西ユーラシアで別々に二度家畜化されたとする研究が出たが、その後の古代の遺伝子の研究は一度の起源を支持する方向にあり、まだ決着していない。
どうやって狼が犬になったのか。有力な考え方は、人が狼を捕まえて飼い慣らしたのではなく、狼のほうから近づいてきた、というものである。狩猟採集民の野営地には、骨や内臓や食べ残しが出る。それを目当てに、狼の一部が人のそばに来るようになった。そのとき、人を極端に恐れない個体ほど多く食べられる。怖がりすぎる個体は近づけず、攻撃的な個体は人に殺される。人を恐れない性質が世代ごとに選ばれ、その群れはしだいに狼から離れていった。
この考えを実験で確かめようとした人がいる。ソ連の遺伝学者ドミトリー・ベリャーエフである。当時のソ連では、メンデルの遺伝学は誤った学問として弾圧されていた。ベリャーエフの兄も遺伝学者で、1937年に粛清されて命を落としている。ベリャーエフは毛皮の改良という名目で、1959年からシベリアのノヴォシビルスクで銀ギツネの交配を始めた。選ぶ基準はただ一つ、人が近づいても怖がらず、噛みつかない個体を選ぶことだった。

10世代ほどで変化が現れた。キツネたちは尾を振り、人に鳴きかけ、人の顔を見つめるようになった。そして、誰も選んでいない特徴まで一緒に変わった。耳が垂れ、尾が巻き、毛に白い斑が出て、鼻先が短く頭が丸くなり、大人になっても子どものようなふるまいが残った。これらは犬をはじめ多くの家畜に共通する特徴で、家畜化に伴って現れる一揃いの変化と考えられている。胎児の発生の初めに生じ、色素や軟骨や副腎などになっていく細胞の発達がわずかに遅れることで、これらがまとめて変わるのではないかという仮説が2014年に出されている。
犬と人は、互いを変えてきた。犬は狼に比べて、でんぷんを分解する酵素の遺伝子を多く持つものが多い。人の残り物を食べる暮らしに合わせて変わったと考えられるが、この変化は農業が始まった後のことらしい。犬は人が指さした方向を理解できる。人に近いチンパンジーでさえ、これは苦手である。2019年の研究では、犬の目の上に、狼にはほとんど無い眉の内側を持ち上げる筋肉があることが示された。目を大きく、訴えかけるように見せるこの表情が、人の世話をしたい気持ちを引き出すのではないかと考えられている。2015年には、日本の研究チームが、犬と飼い主が見つめ合うと、双方で親子の絆に関わるオキシトシンというホルモンが増えると報告した。人の側も、犬がいることで狩りの成功が増え、夜の見張りを任せられ、人以外の生き物とともに暮らすという経験を得た。
やがて犬は、目的に応じて作り分けられた。羊を追う犬、においで獲物を追う犬、目で追う犬、番をする犬、そりを引く犬、膝の上で愛される犬。ただし、いまある犬の品種の大部分は19世紀以降に作られたものである。ヴィクトリア朝のイギリスでドッグショーと血統書の制度が始まり、「純血種」という考えが生まれた。極端な姿を求めた交配は、多くの品種に、鼻の短い犬の呼吸の苦しさや、大型犬の関節の病気といった遺伝的な病をもたらしている。
ボン=オーバーカッセルの墓には、二人の人間と一匹の犬が眠っていた。病気の子犬を何週間も看病し、死ねば自分たちの墓に入れた人々がいたのである。人が別の種と結んだ関係の、最も古い証拠の一つである。農業も、都市も、文字も、それから1万年近く後にやって来る。