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Event / できごと

河姆渡の稲

Rice at Hemudu
約7000年前
年に諸説あり重要度 5

概要

杭州湾の南で1973年に出た。高床の家、骨の鍬、そして厚さ数十センチの稲の層。長江の下流で、黄河の粟より早く、稲が作られていた。中国の農耕は北の一つの中心からでなく、二つの川で別々に始まった。

場所

河姆渡
29.96°N 121.35°E · 中国・浙江省

本文

1973年。余姚。河姆渡。 「排水」。 「黒い土。稲」。 「4層」。 「第4層。BC5000」。 「稲。400平方メートル。厚さ40〜50センチ」。 「籾、藁、葉」。 「栽培種。ジャポニカ」。 「骨耜」。水牛の肩甲骨。鍬。170本。 「高床」。「杆欄」。「ほぞ」。 「木の柱。梁。床板。ほぞ穴」。 「7000年前の、大工」。 「漆」。「赤い漆の椀」。「世界最古」。 「井戸」。 「土器。黒。炭を混ぜた。豚の絵。稲の穂」。 「象牙。双鳥朝陽」。 「骨の笛」。 「犬。豚。水牛」。 「魚。亀。鹿。象。犀」。 「暖かかった」。 「杭州湾」。 「海が近かった」。 「BC7000、上山。もっと古い稲」。 「BC8000、湖南の玉蟾岩。彭頭山」。 「稲は、長江の中流と下流で」。 「黄河は、粟」。 「2つの中心」。 「1970年代、『中華文明は黄河から』が変わった」。 「多元」。 「蘇秉琦。『満天星斗』」。 「良渚。BC3300。玉。城」。 「河姆渡から良渚へ」。 「日本」。 「稲は、長江から」。 「BC1000年頃、九州へ」。 「直接か、山東と朝鮮を経てか」。 「河姆渡博物館」。 「1993年」。 「稲の層は、掘って、なくなった」。 「写真と、少しの籾」。 「7000年前の、米」。 「食べられない」。

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