レフ・トルストイ
概要
『戦争と平和』で歴史を英雄ではなく無数の人の集まりとして描いた。晩年は財産と著作権を手放そうとして家族と対立する。
所属
ロシア帝国関わったできごと(1)
『戦争と平和』1865年 · 作者本文
1828年、モスクワの南およそ200キロにある領地ヤースナヤ・ポリャーナで、伯爵家の四男として生まれた。2歳になる前に母を、9歳で父を亡くし、親戚の女性たちに育てられた。兄が、緑の棒に人を幸せにする秘密が書いてあり、それは谷のどこかに埋まっている、と弟たちに語った話を、彼は生涯覚えていた。死後、その谷のほとりに葬られることになる。

カザン大学に入ったが、試験に落ち、学業を放り出して領地に戻った。農奴たちの暮らしを良くしようとしたが、農民たちは若い主人の改革を信用しなかった。その後はモスクワとペテルブルクで賭博と放蕩に明け暮れ、借金を作った。同時に、自分を律するための規則を日記に細かく書きつけ、守れなかったことを毎日責めた。この日記は生涯続く。
1851年、軍人だった兄を追ってカフカースへ行き、山岳民との戦いに加わった。そこで書いた自伝的な小説『幼年時代』が雑誌に載り、作家として認められる。クリミア戦争では、包囲されたセヴァストポリの要塞で砲兵将校として戦った。その体験を書いた『セヴァストポリ物語』は、英雄的な戦争ではなく、恐怖と虚栄と泥の中で死んでいく兵士を描いた。皇帝アレクサンドル2世も読んだと伝えられる。

軍を辞めたあと、領地に農民の子のための学校を開いた。決まった時間割も罰も無い学校で、子どもたちが来たいときに来ればよかった。教科書も自分で書いた。農奴解放令が出された1861年には、地主と農民の争いを裁く調停員を務め、農民の側に立つことが多くて地主たちに嫌われた。
1862年、34歳で、18歳のソフィア・ベルスと結婚した。結婚の前に、彼は自分の過去の放蕩を書いた日記を花嫁に読ませた。ソフィアは衝撃を受けたが、結婚した。二人の間には13人の子が生まれ、うち5人は幼くして死んでいる。
結婚から数年、領地での安定した暮らしの中で書いたのが『戦争と平和』(『戦争と平和』)である。ナポレオンのロシア遠征の時代を舞台に、500人を超える人物が出てくる。トルストイが繰り返し語ったのは、歴史は英雄が動かすのではないということだった。ナポレオン・ボナパルトも、自分が戦争を動かしていると思い込んでいるだけで、実際には無数の人々の意志の合力の上に乗っているにすぎない。逆にロシアの将軍クトゥーゾフは、自分では何も決めず、流れに逆らわないことで勝つ人物として描かれた。原稿は何度も書き直され、ソフィアがそれを清書した。

1870年代には『アンナ・カレーニナ』を書いた。冒頭の一文、幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である、はよく知られている。だがこの作品を書き終えたころ、彼は深い精神の危機に入った。名声も富も家族もある。それなのに、なぜ生きるのかが分からない。首を吊らないよう部屋から紐を片づけ、猟に出るときも銃を持たなかった、と『懺悔』に書いている。
答えを、彼は福音書の中に見つけた。ただし教会の教えではない。悪に暴力で抵抗するな、という山上の説教の言葉を文字どおりに受け取り、国家・軍隊・裁判・私有財産をすべて否定した。酒と煙草をやめ、肉を断ち、自分で畑を耕し、靴を縫った。教会の儀式と教義を公然と批判したため、1901年、ロシア正教会の聖シノドは彼を破門した。

晩年の彼のもとには、世界中から信奉者が訪れた。1891年の飢饉では、自ら救援に奔走している。小説『復活』の原稿料は、兵役を拒んで迫害されていた宗派ドゥホボールの人々がカナダへ移住する費用に充てられた。南アフリカにいた若い弁護士ガンディーは彼の著作に感銘を受け、手紙を送った。トルストイは死の直前の返信で、非暴力の運動を励ましている。
家族との溝は深まっていった。彼は著作権を放棄し、財産を手放そうとした。ソフィアは子どもたちの暮らしを守ろうとして反対した。弟子のチェルトコフが夫の遺言をひそかに書き換えさせていると疑い、日記を盗み読み、夫も妻の日記を読んだ。夫婦の争いは家の中の誰もが知るところになった。

1910年11月、82歳の彼は、夜中にひそかに家を出た。医師と娘一人を連れて南へ向かう列車に乗ったが、車中で肺炎にかかり、アスターポヴォという小さな駅で降ろされた。駅長の官舎に寝かされた彼のもとに記者が押し寄せ、病状は毎日世界に打電された。ソフィアが駆けつけたが、病室に入れてもらえたのは彼が意識を失ってからだった。11月20日に死んだ。
遺言どおり、ヤースナヤ・ポリャーナの、あの緑の棒の谷のほとりに、墓標も十字架も無い土饅頭の下に葬られた。ノーベル文学賞の候補には何度も挙がったが、受けていない。彼の非暴力の思想は、ガンディーを通じてインドの独立運動に、さらにその先の公民権運動へと受け継がれた(物語「戦争と平和の歴史」)。