できごと

『戦争と平和』

War and Peace
1865年 – 1869年
期間を持つできごと重要度 4
『戦争と平和』に関わる図版:Tolstoy - War and Peace - first edition, 1869
Tolstoy - War and Peace - first edition, 1869 Wikimedia Commons Leo Tolstoy · Public domain

概要

歴史を英雄が動かすという見方をはっきり否定し、無数の人の集まりとして書いた。

場所

ヤースナヤ・ポリャーナ
54.07°N 37.53°E · ロシア・トゥーラ州

関わった人(1)

レフ・トルストイAD1828年9月9日–AD1910年11月20日 · 作者

本文

レフ・トルストイは、ロシアの貴族の家に生まれ、モスクワの南にある領地ヤースナヤ・ポリャーナで育った。若いころには軍に入り、クリミア戦争(クリミア戦争)では包囲されたセヴァストポリの要塞で砲兵将校として戦った。その体験を書いた短編で、作家として名を知られるようになる。1862年、34歳のトルストイは18歳のソフィア・ベルスと結婚し、領地に落ち着いて、大きな作品に取りかかった。

はじめに考えていたのは、1825年に皇帝に反乱を起こした貴族の将校たち(デカブリストの乱)の物語だった。ところが、彼らがなぜ反乱に向かったのかを描こうとすると、その若いころ、1812年のナポレオンとの戦争にさかのぼらなければならない。さらにその前の、ロシアが敗れた1805年の戦いにまでさかのぼった。こうして、ナポレオン戦争の時代のロシアを舞台にした物語ができあがっていった。1865年から雑誌に「1805年」という題で連載が始まり、1869年に全体が完結した。

デカブリストの乱に関わる図版:Georg Wilhelm Timm - Dekabristen-Aufstand
デカブリストの乱Wikimedia Commons Vasily Timm · Public domain

物語は、ロシアの貴族の四つの家族を中心に進む。陽気で情の深いロストフ伯爵家と、その娘で生き生きとしたナターシャ。誇り高いボルコンスキー公爵家と、その息子で人生の意味を探し続けるアンドレイ。莫大な遺産を継いだ不器用な庶子のピエール・ベズーホフ。そして美しく打算的なクラーギン家の兄妹。登場する人物は数え方によって500人を超え、皇帝アレクサンドル1世や、将軍クトゥーゾフ、ナポレオン・ボナパルトのような実在の人物も、架空の人物と同じ場面に現れる。

1805年のアウステルリッツの戦いで負傷したアンドレイが、戦場に倒れたまま高い空を見上げ、それまで英雄と仰いでいたナポレオンが、ちっぽけな存在に思える場面がある。1812年、ナポレオンの大軍がロシアに攻め込み(ナポレオンのロシア遠征)、ボロジノで両軍が激突し、モスクワが焼け、フランス軍が雪の中を退いていく。その中で、ナターシャやピエールたちが、恋をし、過ちを犯し、人を失い、生き方を見つけていく。貴族の会話の多くはフランス語で書かれ、ロシア語の注が付いている。当時のロシアの上流社会では、フランス語が日常の言葉だった。

ナポレオンのロシア遠征に関わる図版:IV corpo durante la campagna di Russia
ナポレオンのロシア遠征Wikimedia Commons Albrecht Adam · Public domain

トルストイがこの作品で示そうとしたのは、歴史の見方でもあった。歴史は、ナポレオンのような英雄の意志によって動くのではない、と彼は書く。ナポレオンは自分が命令を出して軍を動かしていると思っているが、実際には、何十万という兵士や人々の、数えきれない小さな意志と行動が重なり合った流れの上に乗っているにすぎない。だから、歴史を描くには、無数の人々を描かなければならない。

戦いの場面も、司令部から戦場を見渡す視点では書かれない。ピエールは、ボロジノの戦場に紛れ込んで、煙と砲声の中で何が起きているのかも分からないまま歩き回る。トルストイが描くクトゥーゾフは、華々しい作戦を立てる将軍ではなく、流れに逆らわず、待つことを知る老人である。物語の終わりのエピローグの後半は、小説というより、歴史を動かす力とは何かを論じる長い論文になっている。

『戦争と平和』執筆中のトルストイ(1868年撮影)
『戦争と平和』執筆中のトルストイ(1868年撮影)Wikimedia Commons Public domain

この作品が小説の型に収まらないことは、トルストイ自身が意識していた。連載が終わる前に発表した文章で、これは小説ではない、まして叙事詩でもなく、歴史の記録でもない、作者が表したかったことを表すことのできた形だ、と書いている。

執筆には6年ほどがかかった。トルストイは何度も書き直し、そのたびに原稿は読みにくくなった。妻のソフィアは、夜遅くまでかかって、その原稿を何度も清書した。7回にわたって全体を写したとも伝えられるが、回数は確かではない。

『戦争と平和』第9稿のトルストイの草稿(1864年)
『戦争と平和』第9稿のトルストイの草稿(1864年)Wikimedia Commons Лев Николаевич Толстой · Public domain

『戦争と平和』が書かれたのは、ロシアで農奴の解放(農奴解放令)が行われた直後の、社会が大きく変わろうとしていた時代だった。同じころ、フョードル・ドストエフスキーは『罪と罰』(ドストエフスキー『罪と罰』)を書いている。トルストイはこの後『アンナ・カレーニナ』を書き、やがて信仰と道徳の問題に深く入り込んで、自分の過去の作品さえ否定するようになる。1910年、82歳で家を出て、旅の途中の小さな駅で亡くなった。『戦争と平和』は、いまも世界で最も偉大な小説の一つに数えられ、繰り返し映画や舞台になっている。

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