カニシカ王
概要
中央アジアと北インドを結び、仏教を保護した。ガンダーラの仏像はこの頃に広がる。
関わったできごと(1)
クシャーナ朝の隆盛AD127年頃 · 当人本文
カニシカは、クシャーナ朝の最盛期の王である(クシャーナ朝の隆盛)。だが、いつ王だったのかが定まらない。即位の年については、紀元78年とする説から、144年頃とする説まで、70年近い幅がある。いまは127年頃とする説が有力だが、決着はしていない。
この年がなぜ大切かというと、カニシカの即位の年を元年とする紀年が、のちに長く使われたからである。インドや中央アジアの碑文には「カニシカ何年」という日付が多く刻まれている。この元年がいつかが決まらなければ、それらの碑文の年代も、彫刻の年代も、王たちの順番も決まらない。古代インドの年代を組み立てる基準の一つが、宙に浮いたままになっている。インドで紀元78年を元年とする「サカ紀元」がいまも暦に使われており、かつてはこれがカニシカの紀元だと考えられていたが、現在では別のものとする見方が強い。
クシャーナ朝の祖先は、中国の史書が「月氏」と呼ぶ遊牧の民で、紀元前2世紀に匈奴に追われて中国の西北から中央アジアへ移ってきた。漢の張騫が、匈奴を挟み撃ちにする同盟を求めてはるばる訪ねたのも、この月氏だった(張騫の西域派遣)。彼らは、かつてギリシア人が治めたバクトリア、いまのアフガニスタン北部に住み着いた(グレコ・バクトリア王国の滅亡)。その五つの部族の一つクシャーナが他を従え、1世紀にクジュラ・カドフィセスが王朝を開いた。1993年にアフガニスタンで見つかったラバータク碑文には、カニシカ自身の言葉として、曾祖父クジュラから続く系譜が記されている。

ラバータク碑文によれば、カニシカは即位の年に、インドの諸都市を支配下に置いた、という。王国は、中央アジアのアム川の流域から、ヒンドゥークシュ山脈を越えて、ガンジス川の中流域にまで広がっていた。都の一つはガンダーラ地方のプルシャプラ(いまのパキスタンのペシャーワル)、もう一つの拠点がインド北部のマトゥラーだった。東には後漢、西にはパルティアとその向こうのローマがある。カニシカの王国は、東西の交易の道と、インドへ向かう南北の道が交わる場所を押さえていた。ローマの金貨がこの地に流れ込み、クシャーナの王たちはそれをもとに良質の金貨を大量に作った。
その金貨が、カニシカの時代を知る手がかりになる。表には、長い外套と長靴を身につけ、槍を持って祭壇に供物を捧げる王の姿が刻まれた。裏には神々が刻まれたが、その顔ぶれが驚くほど多彩だった。ギリシアの太陽神ヘリオスや月の女神セレネ、イランの太陽神ミスラや、豊穣の女神、インドのシヴァ神を思わせる神、そして仏陀である。文字も、初めはギリシア語だったが、まもなく、ギリシア文字で書いたバクトリア語に切り替えられた。王は「王の中の王」「神の子」を名乗った。どれか一つの信仰を国の宗教とするのではなく、さまざまな民と神々をそのまま抱え込む、遊牧の民の出の王らしい統治だった。

仏教の伝承では、カニシカはアショーカ王と並ぶ仏教の大保護者として語られる。ペシャーワルに巨大な仏塔を建て、カシミールで経典を整理するための第4回の仏典結集を開いた、とされる。7世紀にインドを訪れた玄奘は、その仏塔の高さに驚いたことを書き残している。20世紀の初めにはこの仏塔の跡から、カニシカの名を刻んだ舎利容器が掘り出された。ただし、仏典結集については後世の仏教側の伝承であり、どこまで史実かははっきりしない。
この時代に起きた大きな変化が、仏陀を人の姿で表すことだった。それまでのインドの仏教美術は、仏陀その人を描かず、足跡や菩提樹、法輪などで象徴的にその存在を示していた(ゴータマ・シッダールタ)。1世紀から2世紀にかけて、ガンダーラとマトゥラーの工房で、人の姿をした仏像が作られ始める(ガンダーラの仏像)。ガンダーラの仏像は、波打つ髪や衣のひだに、ギリシア・ローマの彫刻の影響を色濃く残している。カニシカの金貨に刻まれた立ち姿の仏陀は、年代の分かる仏像表現としては最も古いものの一つである。仏像がいつどこで最初に作られたのかについては、ガンダーラ説とマトゥラー説があり、議論が続いている。

クシャーナ朝の時代には、大乗仏教が広がり、仏教は交易の道をたどって中央アジアから中国へ伝わった。2世紀の後半、後漢の都洛陽で仏典を中国語に訳した僧たちの中には、クシャーナの地から来た人々がいた。人の姿をした仏像もまた、この道を通って東へ向かい、中国、朝鮮半島を経て、6世紀には日本に届いた。奈良の仏像の顔や衣の源をたどると、カニシカの時代のガンダーラに行き着く。
カニシカの最期について、確かなことは分からない。漢訳の仏典には、遠征を重ねる王に疲れた兵たちが、病に伏した王を布団で覆って殺した、という話が残るが、伝説とみられる。マトゥラーの近くで見つかった王の石像は、頭部が失われ、外套と長靴の体だけが残っている。その胸元には「大王、王の中の王、神の子カニシカ」と刻まれている。