ボリス1世
概要
ビザンツから洗礼を受け、ローマと交渉して自前の大主教を得た。キュリロスの弟子を受け入れ、スラヴ語の典礼を育てる。退位して修道院に入り、反乱した息子の目を潰した。
関わったできごと(1)
ブルガリアの改宗AD864年 · 改宗した本文
ボリス1世は、9世紀のブルガリアの君主である。生まれた年は分かっていない。852年ごろ、父の跡を継いで、ハンの称号を持つ君主になった。
当時のブルガリアは、トルコ系の遊牧民に由来する支配層のブルガール人と、数の上で多数を占めるスラヴ人とが一つの国に暮らす国だった。信仰は、支配層の天の神タングラの崇拝や、スラヴ人の古い神々である。ところが周りを見渡すと、南のビザンツ帝国も、西のフランク王国も、北西の大モラヴィアも(大モラヴィア国)、キリスト教の国だった。外交でも国内の統合でも、異教のままでいることは不利になっていた。ボリスは改宗を決めた。問題は、どちらの教会から洗礼を受けるかだった。

ボリスはまず、東フランク王ルートヴィヒと手を結び、ローマの側から洗礼を受けようとした。ビザンツにとって、すぐ北の隣国が西の教会に入ることは脅威だった。皇帝ミカエル3世は軍をブルガリアへ進めた。折悪しくブルガリアは飢饉に見舞われており、ボリスは戦わずに折れた。864年ごろ、ボリスはビザンツの聖職者から洗礼を受けた(ブルガリアの改宗)。皇帝が代父となり、ボリスはその名をとってミカエルという洗礼名を得た。
改宗は、国内に激しい反発を呼んだ。866年、古い信仰を守ろうとする貴族たちが反乱を起こした。ボリスはこれを鎮め、首謀者の貴族52人を、その家族ごと処刑した。

ボリスは、ビザンツの教会に組み込まれることにも満足していなかった。ビザンツから来る聖職者たちは、ブルガリアを従属する国として扱った。ボリスが欲しかったのは、ブルガリアの教会を自分で治める、独立した大主教だった。866年、彼はローマの教皇ニコラウス1世に使者を送り、106か条の質問を届けた。
質問の中身は、改宗したばかりの国の悩みをそのまま映している。教皇の答えの書が残っていて、そこから逆に問いが分かる。ズボンをはいてよいのか、という問いに、教皇は服装は信仰と関係ないと答えた。妻は二人持ってよいのか、という問いには、一人だけだと答えた。水曜と金曜に入浴してよいか、戦の前に何をすべきか、軍旗に馬の尾を使ってよいか。異教徒のままの罪人をどう扱うか、という問いもある。教皇は懇切に答え、ローマから司教たちを送った。
ところが、ボリスが大主教に推した人物を、教皇は認めなかった。ローマもまた、ブルガリアの教会を手放すつもりはなかったのである。ちょうどその頃、ローマとコンスタンティノープルの教会は、総主教フォティオスをめぐって激しく対立していた(フォティオスの分裂)。ボリスはその対立を利用した。870年、コンスタンティノープルで開かれた会議で、ブルガリアの教会はコンスタンティノープルに属することが決まり、ブルガリアは自分の大主教を持つことを認められた。ラテンの聖職者たちは国を去った。

ボリスにはもう一つ、悩みがあった。ギリシア語で行われる礼拝は、スラヴ語を話す民には分からない。その答えは、思わぬところからやって来た。885年、大モラヴィアでスラヴ語の典礼を広めていたメトディオスが死ぬと、その弟子たちはラテンの聖職者に追われ、国を逐われた。886年ごろ、クリメント、ナウムらの弟子がブルガリアにたどり着いた。ボリスは彼らを迎え入れ、学校を開かせた。
弟子たちは、キュリロスが考案したスラヴ語の文字(グラゴル文字)で書かれた典礼書を持ってきていた。ブルガリアの都プレスラフの学校では、のちにギリシア文字をもとにした、より書きやすい文字が作られた。これがいまキリル文字と呼ばれる文字で、作ったのはキュリロス自身ではなく、ブルガリアの弟子たちだったと考えられている。誰が作ったかについては諸説ある。西のオフリドでは、クリメントが3500人の弟子を育てたと伝えられる。スラヴ語の書物が次々に生まれた。

889年、ボリスは退位して修道院に入り、長男のヴラディーミルに位を譲った。ところがヴラディーミルは、異教の貴族たちと結んで古い信仰を戻そうとした。893年、ボリスは修道院から出てきて息子を退位させ、その目をつぶさせた。同じ年の会議で、三男のシメオン1世を新しい君主に立て、都をプレスラフに移し、教会と国の言葉をスラヴ語に定めた。ボリスは修道院に戻り、907年に死んだ。
ボリスの改宗と、スラヴ語の文字と典礼の受け入れは、ブルガリア一国を超える意味を持った。ブルガリアで育ったスラヴ語の書物と文字は、セルビアへ、そして10世紀の末にキリスト教を受け入れたルーシへ伝わっていく(キエフ・ルーシの改宗)。いまキリル文字を使う国々の書き言葉は、ボリスがモラヴィアから追われた弟子たちを迎え入れたことにさかのぼる。ブルガリア正教会は、ボリスを聖人として祀っている。