アイスキュロス
概要
マラトンとサラミスで戦った兵士で、悲劇の父。役者を二人にして対話を作った。墓碑には戦ったことだけが刻まれ、劇のことは書かれなかった。禿げた頭を石と間違えた鷲が亀を落として死んだ、という話がある。
所属
アテナイ関わったできごと(1)
アイスキュロス『ペルシア人』BC472年 · 作者本文
アイスキュロスは紀元前525年ごろ、アテナイの西のエレウシスに生まれた。父はエウポリオンという貴族だった。エレウシスは、大地の女神デメテルを祀る秘儀で知られた町である。若いころ、ぶどう畑の番をしていて眠り込んだとき、酒の神ディオニュソスが夢に現れ、悲劇を書くよう命じた、という話が古代から伝わっている。

アイスキュロスが生まれた頃、アテナイはまだ僭主の一族が治めていた。やがて僭主は追放され、紀元前508年にクレイステネスの改革が行われて(クレイステネスの改革)、市民が政治を担う民主政の土台ができた。アイスキュロスは、アテナイが民主政の国として立ち上がっていく時代に育った人である。20代の半ばには、悲劇の競演に初めて作品を出したとされる。
紀元前490年、ペルシアの軍がアッティカのマラトンに上陸した。アイスキュロスはアテナイの重装歩兵として戦った(マラトンの戦い)。ヘロドトスによれば、この戦いで彼の兄弟キュネゲイロスは、逃げるペルシアの船の艫に手をかけたところを斧で手を切り落とされて死んだ。10年後の紀元前480年、ペルシアが再び攻めてきたとき、アイスキュロスはサラミスの海戦にも加わったとされる(サラミスの海戦)。

紀元前484年、アイスキュロスは悲劇の競演で初めて優勝した。アテナイでは毎年春、ディオニュソスの大祭で、三人の作者がそれぞれ悲劇三本と、滑稽なサテュロス劇一本を上演して競った。
紀元前472年に上演された『ペルシア人』は(アイスキュロス『ペルシア人』)、残っているギリシア悲劇の中で最も古い作品であり、神話ではなく同時代の出来事を扱った珍しい作品でもある。舞台はペルシアの都スーサ。サラミスでの大敗の知らせがペルシアの宮廷に届き、王クセルクセスの母が嘆き、ぼろぼろになった王が帰ってくる。勝ったアテナイの観客の前で、負けた敵の悲しみを描いたのである。自ら戦った海戦を、敵の側から振り返る劇だった。この上演の費用を出したのは、まだ若いペリクレスだった。
アイスキュロスは、悲劇という形式そのものを作り変えた。それまでの悲劇は、一人の役者と合唱隊の掛け合いで進んでいた。アイスキュロスは二人目の役者を加えた。役者が二人いれば、人物どうしが言葉を交わし、ぶつかり合うことができる。アリストテレスは『詩学』で、アイスキュロスが役者を一人から二人に増やし、合唱隊の部分を減らして台詞を劇の主役にした、と書いている。後輩のソフォクレスが三人目の役者を加え、悲劇はさらに複雑な劇になっていく(ソフォクレス『オイディプス王』)。豪華な衣装や舞台装置も、アイスキュロスが工夫したと伝えられる。

生涯に70本から90本の劇を書き、13回優勝したとされる。いま全編が残っているのは7本だけである。『ペルシア人』『テーバイを攻める七将』『救いを求める女たち』『縛られたプロメテウス』、そして三部作『オレステイア』。このうち『縛られたプロメテウス』は、本当にアイスキュロスの作かどうか疑う研究者もいる。
紀元前458年に上演された『オレステイア』は、三部作がそろって残る唯一の例である。トロイア戦争から凱旋した王アガメムノンが、妻クリュタイムネストラに殺される。息子オレステスは父の仇を討って母を殺し、復讐の女神たちに追われる。最後の劇で、オレステスはアテナイにたどり着き、女神アテナが市民を集めて開いた法廷で裁かれる。票は同数に割れ、アテナの一票でオレステスは許される。復讐の女神たちは怒りを鎮め、アテナイの守り神として迎えられる。血で血を洗う復讐の連鎖が、市民の裁判によって断ち切られる。生まれたばかりの民主政の国が、自分たちの法と裁きの由来を舞台の上で見たのである。

晩年のアイスキュロスは、シチリアのシュラクサイの僭主ヒエロンに招かれ、何度かシチリアに渡った。紀元前456年ごろ、シチリアのゲラで死んだ。鷲が亀の甲羅を割ろうとして、禿げた頭を岩と見誤って亀を落とし、それが当たって死んだ、という話が伝わっているが、後世の作り話とみられる。
ゲラの墓に刻まれたと伝えられる碑文は、自分で作ったものとされる。そこには、エウポリオンの子でアテナイの人アイスキュロスがここに眠ること、その武勇はマラトンの森と、それを思い知った長髪のペルシア人が語るだろう、ということだけが記され、悲劇のことには一言も触れていない。アテナイの人びとは彼の死後、その劇を再び上演することを特別に許した。ギリシア悲劇の父と呼ばれる人は、自分を何よりもまずマラトンの兵士として記憶されたかったのである。