概要
劉備の死で南中の四郡が背いた。諸葛亮は春に出て秋に帰った。「心を攻めるを上とし、城を攻めるを下とす」。孟獲を七度捕えて七度放したと『漢晋春秋』は伝える。南中の豪族と兵と銀と馬を得て、北伐の背後を固めた。饅頭の起源の話はここ。
場所
25.49°N 103.80°E · 中国・雲南省
関わった人(2)
諸葛亮AD181年–AD234年 · 丞相孟獲七縦七擒本文
223年、劉備が白帝城で死んだ。 南中。益州の南。建寧、越嶲、牂牁、永昌。 雍闓が益州太守を殺して呉に通じた。高定が越嶲で王を名乗った。朱褒が牂牁で。孟獲が雍闓と組んだ。 諸葛亮は2年待った。呉と結び直し、兵を養った。 225年3月、成都を出た。 馬謖が送った。「南中は遠く険しい。今日破っても明日また背く。用兵の道は、心を攻めるを上とし、城を攻めるを下とす。心戦を上とし、兵戦を下とす。願わくは公、その心を服せしめよ」。 三路。諸葛亮が西から越嶲、馬忠が東から牂牁、李恢が中から建寧。 5月、瀘水を渡った。「五月瀘に渡り、深く不毛に入る」。出師表。 雍闓は高定の部下に殺された。高定を破った。 孟獲。「夷漢の服する所」。 『漢晋春秋』。「捕えて陣を見せた。『どうだ』。『前は知らなかった。今見て、こうなら勝てる』。放した。七度捕えて七度放した。『公は天威。南人は二度と背かない』」。 裴松之は「七縦七擒は、ありえない」と注に書いた。それでも引いた。 秋、四郡が平定した。 「彼らの渠帥を用いた」。「官を置かず、兵を留めず」。「留めれば兵糧が要る。留めなければ夷が恨む。留めず、兵糧を運ばず、夷漢が安らかに」。 孟獲を御史中丞に。李恢を建寧太守に。 金、銀、丹、漆、耕牛、戦馬。「軍資はこれで足りた」。青羌の兵1万戸を蜀に移して「飛軍」。 227年、北伐。
饅頭。瀘水で人の首を供える風習を、羊と豚の肉を小麦で包んで「蛮頭」にした。宋の『事物紀原』。演義が広めた。 演義。「七擒孟獲」は七回分の話になった。祝融夫人、木鹿大王、藤甲兵。 雲南。「諸葛営」「諸葛堰」「孔明城」。地名。 彝族、白族、傣族。「孔明が教えた」。稲、機織り、家の建て方。 「彼らは孔明を祖先のように祭る」。 「侵略者を祭る民」。 そう見る人もいる。 瀘水は金沙江。「五月渡瀘」の場所は、いまも決まっていない。