概要
石清水八幡宮で元服。八幡太郎。前九年で父と、後三年で自分で。「天下第一武勇の士」。朝廷は恩賞を出さず、荘園の寄進を禁じ、京に入るのを禁じた。義家は私財で兵に報いた。頼朝の曾祖父の父。武士の源氏は彼から。「衣の館」。
関わったできごと(2)
前九年の役AD1051年(永承6年) · 子後三年の役AD1083年(永保3年) · 勝った本文
源頼義の長男。石清水八幡宮で元服して八幡太郎。7歳で「天下第一武勇の士」と後冷泉天皇に言われた、と『陸奥話記』。前九年の役に父と出た。黄海で父を守り、厨川で貞任を殺した。「衣のたてはほころびにけり」。
出羽守、河内守、陸奥守。後三年の役。金沢柵。雁の乱れ。朝廷は恩賞を出さず、義家は自分の財で部下に報いた。関東の武士が土地を義家に寄進した。1091年、朝廷は義家への荘園の寄進を禁じ、義家の家来の入京を禁じた。1098年、白河院が院への昇殿を許した。「武士で初めて昇殿」。
弟の義綱と争った。1106年、息子の義親が対馬で反乱した(義家の死後、平正盛が討った。正盛は清盛の祖父。義親の死で、平氏が源氏を抜いた)。同じ年の8月、義家が死んだ。68歳。
『古事談』。「義家は、部下を厚くもてなし、戦で死んだ者の遺族を養った。だから武士は義家のために死んだ」。
義家の孫の孫が頼朝。頼朝は義家の「八幡太郎」と鎌倉を、東国の武士の記憶から取り出した。武士が武家として朝廷から独立するのは、義家から100年後。