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Person / 人

源頼義

Minamoto no Yoriyoshi
AD988年 – AD1075年(享年87・推定)
平安時代重要度 3

概要

頼信の子。平忠常の乱で父と。相模守で坂東の武士を集めた。陸奥守。安倍頼時を12年。飢えて、寒く、黄海で7騎まで減った。清原を頼んで勝った。鎌倉に鶴岡八幡宮を勧請した。1063年。息子義家、義綱、義光。

関わったできごと(1)

前九年の役AD1051年(永承6年) · 将軍

本文

源頼信の長男。頼信は満仲の三男で、河内源氏の祖。父と共に1031年、平忠常の乱を鎮めた。忠常は父の前に降った。父が相模守、頼義も相模守で、東国の武士を集めた。平直方の娘を妻にした。直方は鎌倉の館を娘婿に譲り、鎌倉は源氏のものになった。

1051年、陸奥守。安倍頼時と12年。黄海で負けて7騎。清原に頼んで厨川で勝った。「頼義は、捕らえた頼時の一族の首を、自分で斬った。藤原経清の首は、錆びた刀で、ゆっくり斬った」。『陸奥話記』。

1063年、鎌倉の由比郷に石清水八幡宮を勧請した。鶴岡若宮。頼朝が1180年にいまの場所に移して鶴岡八幡宮。

伊予守を望んで、得た。息子は義家(八幡太郎)、義綱(賀茂次郎)、義光(新羅三郎)。3人とも神社で元服した。1075年に死んだ。88歳。

頼義が集めた東国の武士と、頼義が使った「私戦を戦って、恩賞を自分で出す」やり方が、義家に、頼朝に、つながった。