概要
24曲。失恋した男が、冬の夜に町を出て、あてもなく歩く。菩提樹、鬼火、宿屋(墓地のこと)、そして最後に、村外れで空の手回しオルガンを回し続ける老人。「不思議な老人よ、私はあなたと行こうか。私の歌に、あなたの楽器を合わせてくれるか」。31歳のシューベルトが、死の前年に書いた。友人に聞かせたとき、皆が黙り込んだ。「この歌は、他のどれよりも私を捉えた。君たちにもいつか分かる」。
場所
48.21°N 16.37°E · オーストリア
関わった人(1)
フランツ・シューベルトAD1797年1月31日–AD1828年11月19日 · 作曲した本文
ヴィルヘルム・ミュラー(1794〜1827年)の詩。24篇。彼は、シューベルトが自分の詩に曲をつけていることを知らずに、同じ年に死んだ。
シューベルトは、1827年2月に前半12曲を、10月に後半12曲を書いた。31歳。梅毒の治療(水銀)で体が弱り、頭痛と目眩と発疹に苦しんでいた。
物語らしいものは、ほとんど書かれていない。男が、ある家で娘に恋をして、娘は金持ちと結婚することになり、男は冬の夜、誰にも告げずに町を出る。それだけ。あとは、歩きながら見るものと、思うこと。
1「おやすみ(Gute Nacht)」。「よそ者として来て、よそ者として去る」。娘の家の門に、「おやすみ」と書いて出る。「君の夢を邪魔しないように、そっと戸を閉めて」。
2「風見の旗」。3「凍った涙」。4「かじかみ」。
5「菩提樹(Der Lindenbaum)」。「門の前の泉のそばに、一本の菩提樹が立っている。私はその陰で、たくさんの甘い夢を見た」。いま、その木の枝が、風の中でざわめく。「おいで、ここへ。ここに、お前の安らぎがある」。——それは、死への誘い。旋律だけが取り出されて、ドイツの民謡のように歌われるようになった(『冬の旅』を知らずに歌う人が多い)。
6「あふれる涙」。7「川の上で」。8「かえりみ」。9「鬼火」。10「休息」。11「春の夢」。
13「郵便馬車」。角笛が鳴る。「私の心よ、なぜそんなに跳ねるのか。手紙など来ないのに」。
14「霜おく頭」。霜で髪が白くなり、老人になったと喜ぶ。溶けて、黒い髪が戻る。「若さが恐ろしい。墓までの道が、まだこんなに遠い」。
15「烏」。一羽の烏が、町を出てからずっと、頭の上をついてくる。「私の死体を食べるつもりか。……忠実な生き物よ、墓まで一緒に来てくれ」。
16「最後の希望」。17「村にて」。犬が鎖を鳴らして吠える。人々は眠って、夢の中で持っていないものを持っている。「私は、全部の夢を見終わった。なぜ眠っている人たちの間に留まるのか」。
18「嵐の朝」。19「まぼろし」。20「道しるべ」。「なぜ、私は他の旅人が行く道を避けて、雪の岩山の道を探すのか。……一本の道しるべが、私の目の前に、動かずに立っている。私は、その道を行かなければならない。誰もまだ帰ってきたことのない道を」。
21「宿屋」。墓地のこと。「ここに宿はないか」。しかし、「全部の部屋が塞がっている」。断られる。「では、先へ行こう。ただ先へ」。
22「勇気」。23「幻の太陽」。
24「辻音楽師(Der Leiermann)」。村外れ。裸足の老人が、氷の上に立って、ハーディ・ガーディ(手回しオルガン)を回している。皿は空のまま。誰も聞かず、誰も見ない。犬が唸る。老人は気にせず、回し続ける。
「不思議な老人よ、私はあなたと一緒に行こうか。私の歌に、あなたのオルガンを回してくれるか」。
伴奏は、右手の同じ音形が繰り返されるだけ。空虚五度。旋律が、消えるように終わる。
初演。友人たちの集まり(シューベルティアーデ)で、彼が自分で歌って聞かせた。歌手のフォーグルによれば、皆が黙り込み、シューベルトが言った。「この歌は、他のどれよりも、私を捉えた。君たちにも、いつか分かる」。
出版。前半が1828年1月、後半は彼の死の直後。
1828年3月、生涯で唯一の自作だけの演奏会を開いた(同じ月に、ウィーンにパガニーニが来ていて、話題を全部さらわれた)。11月19日、腸チフスで死んだ。31歳。
遺言に近い希望で、ベートーヴェンの隣に葬られた。1888年、二人とも中央墓地へ移された。