概要
燕から千人余りを連れて亡命した衛満が、箕子朝鮮の準王を追い出して王になった。髷を結い、朝鮮の服を着た。漢の外臣として周りの部族を従え、孫の右渠のとき漢と対立して、BC108年に武帝に滅ぼされて楽浪郡になった。
場所
平壌
39.04°N 125.76°E · 朝鮮民主主義人民共和国
39.04°N 125.76°E · 朝鮮民主主義人民共和国
関わった人(1)
衛満王本文
『史記』朝鮮列伝。 燕王盧綰が漢に背いて匈奴に逃げたとき、衛満は千人余りを集めて東へ。魋結、髷を結い、蛮夷の服。 浿水を渡り、秦の空き地に住み、真番と朝鮮の蛮夷と燕斉の亡命者を従えた。 準王に西の境を守ると言って任され、亡命者が集まると、漢の軍が十道から来ると偽って都に入り、王を追った。 王険城。平壌。 準王は海から馬韓へ逃げて韓王を名乗った、と『三国志』が伝える。
漢の外臣。遼東の太守と約束した。「塞外の蛮夷を守り、辺境を犯させず、諸蛮夷の君長が天子に会いに行くのを妨げない」。 兵と財を得て周りを従え、方数千里。 孫の右渠。亡命者が増え、朝貢に行かず、真番の国々が漢に会いに行くのを妨げた。 BC109年、武帝が使者渉何を送り、渉何は帰り道で朝鮮の裨王を殺し、遼東東部都尉になり、朝鮮が攻めて殺した。 5万。海から楊僕、陸から荀彘。1年。城は落ちず、二人の将軍は仲が悪く、右渠は臣下に殺されて、BC108年に落ちた。 楽浪、真番、臨屯、玄菟。四郡。楽浪は313年まで400年続いた。
『三国史記』は衛満の国を「朝鮮」の系譜に入れなかった。中国人だから。 『三国遺事』は「衛満朝鮮」の章を立てた。 箕子朝鮮、衛満朝鮮、そして三国。古朝鮮の三段。 箕子は殷の王族で周に封じられたと中国の書が言い、朝鮮の儒者は誇り、20世紀の民族主義は否定した。 衛満も燕人だが、朝鮮の服を着た。それで朝鮮の王だと言う人と、中国の植民だと言う人が、いまもいる。