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Event / できごと

威化島回軍

Wihwado Retreat
AD1388年5月
重要度 4

概要

明が鉄嶺以北を求め、高麗は遼東を攻めることにした。将軍李成桂は鴨緑江の中州で雨に降られて「小が大に逆らうな」と四つの理由を挙げ、軍を返して開城を取った。4年後に高麗を終わらせた。朝鮮王朝はこの日から始まる。

場所

威化島
40.10°N 124.45°E · 北朝鮮・鴨緑江

関わった人(1)

李成桂AD1335年10月27日–AD1408年6月18日 · 将軍

本文

1388年。 明が「鉄嶺以北は元の土地だった。明のものにする」。鉄嶺衛。咸鏡道の南。 禑王と崔瑩は遼東を攻めることにした。「先に打つ」。 李成桂は「四不可」。「小が大に逆らうのは不可。夏に兵を出すのは不可。国を空にすれば倭寇が来るので不可。雨で弓の膠が緩み、兵が病むので不可」。 聞かれなかった。 4月、崔瑩が八道都統使、曹敏修が左軍、李成桂が右軍。5万。 5月、鴨緑江の中州、威化島。雨。川が増した。渡れない。兵が逃げ始めた。 李成桂は曹敏修と話し、5月22日、軍を返した。「回軍」。 「私は上に王を諭し、下に民を安んじる」。 崔瑩は開城で戦って捕えられ、高峰に流され、12月に殺された。73歳。「私に一点でも貪欲があったなら墓に草が生えよ」。草が生えなかった、と伝える。赤墳。 禑王は江華島へ。息子の昌王が立ち、翌年、「禑と昌は辛旽の子で王氏でない」として廃し、恭譲王を立てた。廃仮立真。禑と昌は殺された。 科田法。1391年。土地を整理して、旧貴族の田を取り、新しい官僚に与えた。 鄭夢周。李成桂の側だったが、王朝を替えることには反対した。1392年4月、善竹橋で李芳遠の手の者に鉄槌で殺された。橋の石に血の跡が残る、と。 7月17日。李成桂が王になった。高麗が終わった。

「回軍」は正しかったか。 高麗の側から見れば謀反。朝鮮の側から見れば建国。 遼東を攻めていたら。明の洪武帝は当時、北元と戦っていた。勝てたかもしれないと言う人と、滅んでいたと言う人。 「小が大に逆らうな」は500年の朝鮮の外交になった。事大。 1592年、日本が来たとき明に助けを求めた。1636年、清に負けた。1894年、清と日本が朝鮮で戦った。 李成桂は太祖。威化島の日から、朝鮮は数える。 威化島はいま北朝鮮の中州で、中国の丹東から見える。

同じ時代のできごと

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