概要
咸鏡道の武人。紅巾と倭寇を破って名を上げた。威化島で軍を返し、崔瑩を殺し、恭譲王を退け、王になった。太祖。鄭道伝と国を作り、漢陽に都した。末子を世子にして息子たちが殺し合い、五男の李芳遠に押されて退位した。
関わったできごと(1)
威化島回軍AD1388年5月 · 将軍本文
李成桂。 1335年、咸鏡道の永興。 父李子春。元の双城総管府の千戸。 1356年、恭愍王が双城総管府を取り戻し、父が高麗に。 1361年、紅巾。開城を取り返した。 1362年、納哈出。 1380年、荒山。倭寇。阿只抜都。 1388年、威化島。 崔瑩。 禑、昌。恭譲。 1391年、科田法。 1392年、鄭夢周。善竹橋。 7月17日、王。 「和寧」「朝鮮」。明に選ばせた。「朝鮮」。 1394年、漢陽。 景福宮。 鄭道伝。『朝鮮経国典』。 1398年、第一次王子の乱。 末子芳碩を世子にしていた。 李芳遠。五男。鄭道伝を殺し、芳碩と芳蕃を殺した。 定宗。芳果。 1400年、第二次王子の乱。 太宗。芳遠。 太祖は咸興へ。「咸興差使」。使者を殺した。 1402年、趙思義の乱。 1408年、死んだ。74歳。 健元陵。
武人。弓。 「李成桂の弓」。 「白い鹿を射た」。 「太祖は弓と馬で天下を取った」。 「息子が息子を殺した」。 「咸興差使」。行ったきり帰らない人の言い方。いまも。 「朝鮮」。1392年から1910年。518年。 大韓民国は「大韓帝国」から名を取り、北朝鮮は「朝鮮」を取った。 「朝鮮民主主義人民共和国」。 李成桂の国の名を、北が使っている。 南は「韓」。三韓の。 一つの半島に、二つの古い名。