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Event / できごと

エーテル麻酔の公開

Ether Day
AD1846年10月16日
重要度 5

概要

マサチューセッツ総合病院の階段教室。歯科医ウィリアム・モートンが、印刷業者ギルバート・アボットにガラスの吸入器でエーテルを吸わせ、外科医ウォーレンが首の腫瘍を切った。患者は動かず、叫ばなかった。ウォーレンが振り向いて言った。「諸君、これはインチキではない」。それまで手術は、押さえつけて、速く切ることだった。1年で世界中に広がった。「エーテル・ドーム」。

場所

ボストン
42.36°N -71.06°E · アメリカ・マサチューセッツ州

関わった人(1)

ウィリアム・モートンAD1819年8月9日–AD1868年7月15日 · 吸わせた

本文

19世紀の半ばまで、手術は、患者を押さえつけて行われた。速さが技量だった。ロバート・リストン(ロンドン)は大腿の切断を28秒でやった(一度、速すぎて助手の指と患者の睾丸まで切り、患者と助手が感染で死に、見物人が驚きで死んだ、という有名な話がある。作り話らしい)。手術室は「オペレーティング・シアター」で、患者の叫び声が聞こえた。

笑気(亜酸化窒素)は1799年にハンフリー・デーヴィーが試して、「外科手術に使えるかもしれない」と書いた。誰もやらなかった。19世紀の初め、笑気とエーテルは「見世物」だった。旅回りの興行師が客に吸わせて、ふらつくのを笑った(「エーテル遊び」「笑気パーティー」)。

1842年3月30日、ジョージア州ジェファーソンの田舎医者クロフォード・ロングが、エーテル遊びで痣ができても痛みを感じないことに気づいて、患者ジェイムズ・ヴェナブルの首の腫瘍を、エーテルで眠らせて切った。2ドル。彼は7年、発表しなかった。

1844年12月、コネチカットの歯科医ホレス・ウェルズが、笑気の興行を見て、自分の歯を笑気で抜かせた。痛くなかった。1845年1月、ボストンのマサチューセッツ総合病院で公開した。量が足りず、患者が呻いた。学生が「インチキだ」と叫んだ。ウェルズは失意のうちにクロロホルムに溺れ、1848年、娼婦に硫酸をかけて逮捕され、獄で自殺した。

ウィリアム・モートン。ウェルズの元の共同経営者。ボストンで歯科。入れ歯を売るのに、悪い歯を抜かなければならず、痛みが商売の邪魔だった。化学者で医師のチャールズ・ジャクソンに相談して、精製した硫酸エーテルを勧められた。犬と、自分と、助手で試した。1846年9月30日、患者エベン・フロストの歯を、痛みなく抜いた。翌日の新聞に載った。

マサチューセッツ総合病院の外科部長ジョン・コリンズ・ウォーレン(68歳)が、公開の機会をくれた。

1846年10月16日、金曜日、午前10時。円形の階段教室。見物人。患者ギルバート・アボット(20歳、印刷業者)、首の左の血管腫。モートンは遅れて来た(吸入器を作らせていた)。ガラスの球に海綿とエーテル。アボットが吸って、眠った。ウォーレンが切った。患者は動かず、後で「首を鍬で引っ掻かれたような感じがしたが、痛みはなかった」と言った。

ウォーレンが、静まり返った教室を振り向いて言った。「諸君、これはインチキ(ハンバグ)ではない」。

11月18日、ヘンリー・ビゲローが『ボストン医学外科雑誌』に報告した。12月19日、ロンドンで最初の使用(ロバート・リストンが大腿を切断して「このヤンキーの仕掛けは、催眠術を叩き潰した」)。1847年、パリ、ウィーン、そして日本にも伝わった(華岡青洲は1804年に、朝鮮朝顔とトリカブトの「通仙散」で乳癌の手術をしていた。世界最初の全身麻酔だが、伝わらなかった)。

1847年、シンプソンがクロロホルムを産科に使った。「女は苦しんで産むべきだ」と聖職者が反対した。1853年、ジョン・スノウがヴィクトリア女王の8人目の出産に使って、議論が終わった。

争い。モートンは「レテオン」という商品名で香料を混ぜて中身を隠し、特許を取った。ジャクソンは「私が教えた」と言い、ウェルズは「私が先だ」と言い、ロングは「私は1842年だ」と証拠を出した。議会の報酬(10万ドル)は、誰にも与えられなかった。モートンは訴訟に人生を費やし、49歳、真夏のニューヨークで、馬車から降りてセントラル・パークの池に頭を浸けて、倒れて死んだ。ジャクソンは精神を病んで、施設で7年過ごして死んだ。

マサチューセッツ総合病院のあの部屋は、いま「エーテル・ドーム」と呼ばれ、残っている。

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