概要
弓裔を追った将軍が開城で高麗を建て、935年に新羅の降伏を受け、936年に後百済を破った。高句麗の後継を名乗り、29人の妻で豪族をつなぎ、渤海の遺民を受け入れ、『訓要十条』を残した。「Korea」の名はこの国から。
場所
37.97°N 126.55°E · 朝鮮民主主義人民共和国(高麗の都)
関わった人(1)
王建AD877年–AD943年 · 建国本文
918年6月15日。鉄円。 王建。42歳。開城の海商の家。父王隆は弓裔に従い、王建は水軍を率いて903年に羅州を取り、後百済の背後を押さえた。 四人の将軍。「弓裔は暴虐。天が王建を」。「私はできない」。妻の柳氏が「義兵を起こして暴君を替えるのは古から。私は女だが」と鎧を持ってきた。 「高麗」。弓裔の最初の国号に戻した。年号を天授。 919年、松嶽(開城)に都した。自分の故郷。
豪族。29人の妻。6人の王后、23人の夫人。地方の豪族の娘を娶ってつないだ。25人の息子、9人の娘。 「重幣卑辞」。新羅に礼を尽くした。 「北進」。平壌を西京にした。「高句麗の後継」。 渤海。926年に契丹に滅ぼされ、934年に太子大光顕が数万を連れて来た。「王継」の姓を与えた。「契丹は禽獣の国」。942年、契丹が送ってきた50頭の駱駝を橋の下に縛って餓死させた。万夫橋。 935年、敬順王。新羅の千年を受け取った。「政承公」。慶州を食邑に。娘の楽浪公主を妻に。 936年、後百済。 940年、州県の名を改めた。 943年4月、『訓要十条』。 一、仏教。二、寺は道詵の定めた地に。三、嫡長子の継承、悪ければ次。四、唐の風は学ぶが契丹は禽獣、真似るな。五、西京に年百日。六、燃灯と八関。七、諫言を聞き、賦役を軽く。八、車峴(車嶺)の南、公州江の外の人は用いるな。九、俸禄。十、書を読み古を鑑みよ。 八条。全羅道の人を用いるな。後百済の恨みか、あとの偽作か。1000年、その地の人が損をした。
5月、死んだ。67歳。「生あるものは死ぬ」。顕陵。 高麗。918年から1392年。474年。34代。 「Korea」。アラビアの商人が「クリヤ」。マルコ・ポーロが「カウリ」。 朝鮮でなく高麗の名が、世界の名になった。 開城。いまは北朝鮮。2013年、世界遺産。王建の陵と、彼の銅像が1992年に出た。冠をつけた裸の像。北朝鮮が「高麗の太祖」として展示している。