概要
開城の海商の子。弓裔の水軍の将で羅州を取った。918年、部下に押されて弓裔を追った。新羅の敬順王を「政承公」にして娘を娶り、後百済を破り、渤海の太子を迎えた。29人の妻。「北進」と「仏教」の遺訓。太祖。
所属
高麗関わったできごと(1)
高麗の建国AD918年 · 建国本文
王建。 877年。松嶽。 父王隆。海商。「開城の豪族」。 「唐の粛宗の子孫」と『高麗史』の世系。作り話。 道詵が父に「ここに家を建てれば聖人が生まれる」。 896年、弓裔。20歳。 903年、羅州。水軍。後百済の背後。 913年、波珍粲、侍中。 918年、鉄円。 「天授」。 919年、松嶽。開州。 927年、公山。申崇謙。 930年、古昌。 935年、敬順王。楽浪公主。 936年、一利川。 「三韓を一つに」。 「後三国を統一した」。 渤海の遺民。 西京。北進。 契丹。駱駝。万夫橋。 『政誡』。『誡百寮書』。 『訓要十条』。943年。 5月、死んだ。67歳。 顕陵。開城。
29人の妻。豪族の娘たち。25人の息子。 死んだあと、息子たちが争った。定宗、光宗。光宗が豪族を粛清した。 『訓要十条』の第八条。「車峴以南、公州江外」。「山形地勢が背逆」。「その地の人は用いるな」。 全羅道差別の起源、と言われた。 偽作説。後の王が作った。 本当だとしても、「公州江外」がどこかは分からない。 それでも1000年、全羅道の人はそれを覚えている。 光州事件の1980年。金大中の1997年。「湖南」と「嶺南」。 王建の像。1992年、開城の陵の近くで出た。青銅。冠。裸。 仏像のように作られた王。 北朝鮮の朝鮮中央歴史博物館。 2006年、韓国にも貸し出された。 高麗の太祖は、いま北にいる。