概要
ヴェネツィアの孤児院ピエタで、赤毛の司祭が少女たちに音楽を教えていた。演奏会は観光の名所になり、旅行者が「あれほどの合奏はヨーロッパのどこにもない」と書き残した。『四季』は12曲の協奏曲集の最初の4曲。各曲にソネットが添えられ、鳥の声、雷、氷の上で滑って転ぶ人、蚊の羽音までが音で書かれている。彼は500の協奏曲を書き、忘れられ、20世紀に再発見された。
場所
45.44°N 12.32°E · イタリア・ヴェネト州
関わった人(1)
アントニオ・ヴィヴァルディAD1678年3月4日–AD1741年7月28日 · 作曲した本文
ヴェネツィアには、四つの「オスペダーレ」があった。ピエタ、メンディカンティ、インクラビリ、デレリッティ。孤児と、捨て子と、身寄りのない少女を育てる施設である。
ピエタ(正式には「憐れみの聖母の病院」)は、サン・マルコから東へ、スキアヴォーニ河岸にあった。壁に、赤ん坊を入れる小さな回転する箱があり、母親は誰にも見られずに子を預けられた。
施設は、音楽を教えた。理由は複数ある。教会の礼拝に歌が要る。演奏会の収入と寄付が施設を支える。そして、技能を持てば、修道院か、結婚か、教師の職に就ける。
演奏するのは全員、少女と若い女性。40〜60人。彼女たちは、教会の高い所の格子の付いた回廊で演奏した。姿は、うっすらとしか見えない。
旅行者の記録が多く残っている。フランスの法律家シャルル・ド・ブロス(1739年)。「ヨーロッパのどこにも、これほどの合奏はない。……天使のように歌う。ヴァイオリン、フルート、オルガン、オーボエ、チェロ、ファゴット、あらゆる楽器を弾く。……白い花を耳に挿し、優雅に、正確に指揮をする」。
**アントニオ・ヴィヴァルディ**は、1703年、25歳でピエタのヴァイオリン教師になった。以後、断続的に40年近く、ここのために曲を書いた。彼の膨大な協奏曲の多くは、この施設の演奏会のための実用品である。
**『四季』**。
1725年、アムステルダムで出版された協奏曲集『和声と創意の試み』作品8(12曲)の、最初の4曲。第1番「春」、第2番「夏」、第3番「秋」、第4番「冬」。
出版譜に、各曲、14行のソネットが添えられている(作者不明。ヴィヴァルディ自身の可能性がある)。そして、楽譜の各所に、その詩のどの行がここに当たるかが書き込まれている。
「春」——小鳥が歌う。泉が流れる。雷が鳴る。犬が吠える(ヴィオラが、ずっと同じ音型で「ワン、ワン」と繰り返す。楽譜に「眠る山羊飼いと、吠える犬」と書いてある)。
「夏」——暑さで人も家畜も動けない。カッコウ、キジバト、ゴシキヒワ。北風。蚊と蠅(速い刻み)。そして雹が麦をなぎ倒す嵐。
「秋」——収穫の祝い。酔って踊り、酔って眠る(独奏ヴァイオリンが、酔っぱらいの千鳥足を弾く)。狩り。角笛、犬、逃げる獣、そして獣の死。
「冬」——寒さに震える(同じ音の細かい反復)。歯が鳴る。暖炉のそばの静けさ(外は雨。低音の弦がピツィカートで雨粒を打つ)。氷の上を歩く。滑って転ぶ。氷が割れる。そして、南風と北風がぶつかる。
**性質**。「標題音楽」の最も早い、そして最も徹底した例の一つ。19世紀のベルリオーズやリストの交響詩より、120年早い。
**その後**。ヴィヴァルディは生前ヨーロッパで有名だったが、死後、急速に忘れられた。18世紀の音楽の趣味が変わり、彼の様式は古びた。
19世紀、バッハの研究の副産物として名が浮かんだ(バッハがヴィヴァルディの協奏曲を10曲近く鍵盤用に編曲していたため)。1920年代、トリノで彼の自筆譜の大量の束が見つかった(ある修道院が学校の資金のために売りに出したもの。二つに分かれていた束を、研究者が突き止めて再統合した)。
1939年、シエナで「ヴィヴァルディ週間」。1950年代、LPレコードの普及とともに『四季』が録音され、爆発的に広まった。
現在、世界で最も録音の多い曲の一つ。ヴェネツィアの土産物屋と、電話の保留音と、レストランで、いまも鳴っている。