概要
ロンドンの「アミカブル・ソサエティ」。会員が毎年、同じ額を払い、その年に死んだ会員の遺族が、集めた金を人数で分ける。年齢による差はまだない。1762年、エクイタブル生命が、ハレーとド・モアブルの生命表を使って、年齢ごとに保険料を変えた。数学で死を計算する商売。海上保険(ロイズのコーヒーハウス、1688年)と火災保険(大火の後、1680年)に続いて、命が金額になった。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
海の保険が先だった。14世紀のジェノヴァとフィレンツェに、船と積荷の海上保険の契約書が残る。1688年、ロンドンのタワー街に、エドワード・ロイドのコーヒーハウスが開いた。船主と、船長と、金を出す人が集まった。壁に船の入出港の情報が貼られた(後の『ロイズ・リスト』、1734年から。いまも続く世界最古の日刊紙の一つ)。保険を引き受ける人は、契約書の下(アンダー)に名前を書いた(ライト)。「アンダーライター」。
火災保険。1666年のロンドン大火のあと。1680年、医師で建築業者のニコラス・バーボン(説教師「もし・キリストが・お前のために・死ななかったら・お前は・呪われている」バーボンの息子)が「火災事務所」を作った。加入した家に金属の銘板(ファイアマーク)を打ち付けた。会社が自前の消防隊を持ち、自社の銘板のある家だけを消した。
生命。ずっと難しかった。人の命に金をかけることは、賭博であり、不道徳だと考えられた(大陸のいくつかの国は禁じた)。それに、いくら取ればよいのか、誰も知らなかった。
1706年、ロンドン。「アミカブル・ソサエティ(友愛協会)」。アン女王の勅許。会員は最大2000人、年齢は12歳から45歳まで。全員が同じ額(年6ポンド4シリング)を払う。1年間に死んだ会員の遺族が、その年の掛金の総額を、人数で分ける。20歳の会員も45歳の会員も、同じ額。死者が多い年は、一人あたりの受取額が減る。保険というより、相互の積立。
数学。1662年、ジョン・グラント『死亡表に関する自然的および政治的諸観察』(ロンドンの死亡週報から、年齢別の生存の割合を計算した最初の試み)。1693年、エドモンド・ハレー『ブレスラウ市の死亡表から導かれた人間の死亡率の推計』(教会の記録から、年齢ごとの死亡率と、終身年金の適正な価格を計算した)。1725年、エイブラハム・ド・モアブル『生命年金論』。
1762年、ロンドン。「エクイタブル生命保険会社」。数学教師ジェイムズ・ドドソンが、45歳でアミカブルに入会を断られて(年齢制限)、「年齢に応じた保険料を計算すればよい」と考えたのが発端(彼は設立前に死んだ)。生命表に基づく年齢別の保険料、終身の契約、契約者に配当を返す仕組み、そして「アクチュアリー」(初め会社の役職名だった。ウィリアム・モーガンが1775年から。彼は、保険数理を職業にした最初の人と言われる)。
これで、「あなたが何歳で、あと何年生きる確率がどれだけあるか」が、値段になった。個人には分からないことが、集団では計算できる(大数の法則。1713年、ヤコブ・ベルヌーイ)。
19世紀、生命保険はイギリスとアメリカで急速に広がった。中産階級の家族が、父の死後の生活を、契約で買った。運命が、確率と、月々の払い込みに置き換えられた。
保険会社は集めた金を投資した。19世紀の後半、鉄道と国債と不動産の最大の買い手の一つになった。人の死の統計が、資本の池を作った。