← 地図で見る
Event / できごと

ポーツマス条約

Treaty of Portsmouth
AD1905年9月5日
重要度 5

概要

セオドア・ローズヴェルトの仲介で、小村寿太郎とウィッテが結んだ。韓国の指導権、旅順・大連、南満洲鉄道、樺太の南半分。賠償金はなし。日本にはもう戦う金も兵もなかった。

場所

ポーツマス(ニューハンプシャー)
43.07°N -70.76°E · アメリカ・ニューハンプシャー州

関わった人(1)

小村寿太郎AD1855年10月26日–AD1911年11月26日 · 全権

本文

1905年3月、 奉天。 5月、 日本海。 「もう、 戦えない」。 兵、 金、 弾。 外債は、 「これ以上、 借りられない」。 ロシアも。 「血の日曜日」。 1月22日。 革命。 6月、 戦艦ポチョムキン。 5月31日、 高平小五郎駐米公使。 「ローズヴェルトに、 仲介を依頼せよ」。 小村の訓令。 6月8日、 ローズヴェルト。 「両国に提案する」。 「日本が頼んだ」ことは、 隠した。

8月9日、 ポーツマス。 ニューハンプシャー州の海軍工廠。 ワシントンは暑いから。 小村寿太郎、 高平小五郎。 セルゲイ・ウィッテ、 ローゼン。 ウィッテは、 190センチ。 小村は、 150センチ。 「小村は、 ウィッテの顔を見上げて、 話した」。 日本の要求。 12項目。 韓国の指導権、 満洲からの撤兵、 旅順・大連の租借権、 東清鉄道の南部支線、 樺太、 賠償金、 沿海州の漁業権、 ウラジオストクの非武装、 ロシア艦隊の極東からの撤退。 ウィッテ。 「ロシアは、 負けていない。 一片の土地も、 一ルーブルも、 渡さない」。 「負けた国は、 賠償金を払う。 ロシアは、 負けていない」。 「戦争を続ける」。 「シベリア鉄道で、 100万人を送る」。 ウィッテは、 記者に、 毎日、 会った。 「開かれた外交」。 小村は、 会わなかった。 アメリカの世論が、 ロシアに。 8月18日、 小村が、 樺太の北半分と、 賠償金を、 「償金」でなく「樺太北半分の買い戻し金」12億円に、 と。 ウィッテ、 「一コペイカも」。 8月23日、 ローズヴェルトが、 ニコライ2世に。 「樺太の南半分を渡せ」。 ニコライ、 「南半分は。 金は、 一銭も」。 8月28日、 東京。 御前会議。 「賠償金を、 放棄する」。 「樺太南半分」。 「戦争は、 続けられない」。 山県。 「兵が、 いない」。 8月29日、 小村。 「賠償金を、 撤回する。 樺太は、 南半分」。 ウィッテ。 「同意」。 9月5日、 調印。 15条。 「韓国」。 「租借権の譲渡」。 「長春以南の鉄道」。 「北緯50度以南の樺太」。 「賠償金、 なし」。 「捕虜の費用は、 互いに負担」。

日本。 「屈辱」。 9月5日、 日比谷。 ウィッテ。 帰って、 伯爵。 「ポーツマスのウィッテ伯」。 「ポルツサハリンスキー」。 「半分の樺太のウィッテ」。 小村。 帰って、 警官に守られて。 「国賊」。 桂内閣は、 1906年1月、 総辞職。 ローズヴェルト。 1906年、 ノーベル平和賞。 アメリカ人で、 最初の。 ポーツマスの海軍工廠。 「ビルディング86」。 いまも、 条約の部屋がある。 2005年、 100年。 日本とロシアの外交官が、 来た。

同じ時代のできごと

インド国民会議の創立AD1885年ハルツームの陥落AD1885年1月26日ビルマの併合AD1885年11月28日内閣制度の創設AD1885年12月22日コンゴ自由国1885年ヘイマーケット事件AD1886年5月4日ヘレン・ケラーが言葉を得た日AD1887年4月5日ブラジルの奴隷制廃止AD1888年5月13日