概要
フィレンツェ共和国の書記官が、メディチ家の復帰で職を失い、拷問を受け、郊外の農場に追われた。夜、汚れた仕事着を脱いで正装に着替え、書斎で古人と語る、と友人に書いた。4か月で書いた。君主は、愛されるより恐れられるほうがよい。必要なら約束を破る。運命は女で、大胆な者に従う。復職のためにメディチに献じたが、読まれなかった。死後5年で刊行され、禁書になり、以後500年、読まれ続けている。
場所
43.77°N 11.26°E · イタリア・トスカーナ州
関わった人(1)
ニッコロ・マキャヴェッリAD1469年5月3日–AD1527年6月21日 · 書いた本文
1512年8月、プラート。スペイン軍がフィレンツェ共和国の市を略奪した。9月、メディチ家が18年ぶりに帰ってきた。11月、共和国の第二書記局長ニッコロ・マキャヴェッリは、罷免され、1年、市外へ出ることを禁じられた。
1513年2月、メディチへの陰謀の名簿に、彼の名があった(彼は関わっていなかった)。逮捕。ストラッパード(両手を後ろで縛って吊し上げ、落とす)を6回。自白しなかった。3月、レオ10世(メディチ家出身)の教皇即位の恩赦で、釈放された。
サンタンドレア・イン・ペルクッシーナ。フィレンツェから南へ11キロの、父から継いだ小さな農場。44歳。職がない。
1513年12月10日、フランチェスコ・ヴェットーリ(ローマ駐在の友人)への手紙。
「朝、日が出ると起きて、私の伐らせている森へ行きます。……宿屋へ行って、旅人と話し、諸国の話を聞きます。……昼は、家族と、この貧しい農場と父祖の遺産が生み出すものを食べます。……食べ終わると宿屋へ戻り、そこに、亭主と、肉屋と、粉屋と、パン屋がいます。彼らと、クリカ(カード)とトリック・トラックをして、一日を汚します。……
夕方になると、家に帰り、書斎に入ります。入口で、その日の泥と埃にまみれた仕事着を脱ぎ、宮廷の礼服に着替えます。そうして、ふさわしい身なりで、古人たちの古の宮廷に入ります。そこで彼らは私を迎え、私は、私だけのために作られた、あの食物を食べます。私は、恥じることなく彼らに語りかけ、彼らの行いの理由を尋ねます。彼らは、その人間性から、私に答えます。4時間、私は退屈を感じず、あらゆる煩いを忘れ、貧しさを恐れず、死に怯えません。私は、すっかり彼らの中に移ってしまうのです。
……そして、私は、彼らとの対話から得たものを、小さな書物にまとめました。『君主国について』。そこで私は、この主題について、できるだけ深く入り込みます。君主国とは何か、いくつの種類があるか、どうやって獲得され、保たれ、失われるか」。
『君主論(Il Principe)』。26章。ラテン語でなく、イタリア語。
内容。君主国の種類。獲得の仕方(自分の武力か、他人の武力か、運か、悪徳か)。傭兵と外国の援軍は役に立たない(フィレンツェが1494年以来、経験したこと)。自分の軍を持て。
第15章から、転換する。「多くの人が、実際には見られたことも、知られたこともない共和国や君主国を想像してきた。しかし、人がいかに生きているかと、いかに生きるべきかは、あまりに隔たっている。なされるべきことのために、なされていることを見捨てる者は、自分の保存よりも、自分の破滅を学ぶことになる」。
第17章。「愛されるのと恐れられるのと、どちらがよいか。両方であるのが望ましいが、両立が難しいなら、恐れられるほうがはるかに安全である。……人間は、恐れている者より、愛している者を傷つけることをためらわない。愛は義務の絆で保たれるが、人間は邪悪なので、自分の利益のためにそれを断ち切る。恐れは、決して人を見捨てない罰の恐怖で保たれる」。ただし、憎まれてはいけない。「他人の財産と、女に、手を出すな」。
第18章。「君主は、獣と人間の、両方の性質を使い分けなければならない。……獅子と狐。獅子は罠を防げず、狐は狼を防げない。だから、罠を知るために狐であり、狼を怯えさせるために獅子でなければならない」。「約束を守ることが自分の不利になり、約束させた理由が消えたとき、賢明な君主は約束を守れないし、守るべきでもない」。
第25章。運命(フォルトゥーナ)は、人間の行いの半分を支配する。運命は川のようなもので、平時に堤を築いておけば、氾濫を防げる。「運命は女である。彼女を抑えつけたいなら、殴り、突き飛ばす必要がある。……彼女は、いつも若者に味方する。若者は慎重さに欠け、荒々しく、大胆に彼女を支配するから」。
第26章。「蛮族の手からイタリアを解放するための勧め」。イタリアの分裂と、外国軍の侵入を終わらせよ、という呼びかけで終わる。
彼はこれをロレンツォ・デ・メディチ(教皇レオ10世の甥)に献じた。職に戻るために。ロレンツォは、同じ日に贈られた猟犬に気を取られていた、と伝える(後世の逸話)。読まれた形跡がない。
彼は職に戻れなかった。1520年、フィレンツェ史の執筆を依頼されたのが、唯一の公職らしい仕事。1527年、ローマ劫掠でメディチがまた追われ、共和政が復活した。彼は書記官の職に応募して、落ちた(今度は「メディチの側の人間」と見られた)。その1か月後、6月21日、死んだ。58歳。
1532年、死後5年で刊行された。1559年、教皇庁の禁書目録。「マキャヴェリズム」という言葉が、16世紀の終わりにはヨーロッパ中にあった。悪魔の別名「オールド・ニック」は彼の名から、という説がある(俗説)。
同時に、彼は『ディスコルシ(リウィウス論)』で、共和政こそが最も長く続く政体だと論じている。人民は君主より賢明で、恒常的である、と。同じ人が書いた。
読み方は二つある。「悪の教科書」。そして、「これが実際に起きていることだ、と書いた最初の本」。ルソーは『社会契約論』の注に書いた。「マキャヴェッリは、君主に教えるふりをして、人民に大きなことを教えた。『君主論』は共和主義者の書である」。